朝からお腹が痛い。
今すぐトイレに行きたいけどこの電車を乗り過ごしたら、遅刻するのは間違いない。
駅のトイレは汚いだろうし、なにより朝は混んでいる。カバンに入れているビオフェルミンを3錠のんでお腹に手を当てる。
さてこれからどうしよう、このまま現実逃避しながら電車に乗るのか、遅刻覚悟でトイレに向かうのか、いつもボーッとしている脳がこんなに働いているときは珍しい、、いや、それはそれで問題だなぁと、、、もし富岳ならどうするのが正解と答えるんだろうか?
そんなことを考えながら、極限の時間が続いていく。
最悪の事態を想像すると日頃のどんな悩みもちっぽけな悩みに思えてくる、駅のホームで普通にしている人がみんな立派な人に見えてくる、いつもなら思わないそんなことも緊急事態には思ったりします。
そんな朝の戦いが終わり、何とか無事に生還できました。
そしてなんの根拠もない私調べによると、お腹が痛くなりやすいおじさんはセンチメンタルだと思います。
『 非日常 』
試合終了間近、ディフェンダーを抜いてゴールキーパーと1対1になる。これを決めたらチームは勝利する。
そんな絶好のチャンスにも関わらずシュートを打たずにタッチラインの外にボールを蹴りだした選手がいました。
敵のディフェンダーが大怪我をして倒れていたからです。
この行動にはいろんな意見があるようですが、その瞬間に彼はそのプレーを選びました。サッカーで勝利するより大切なものが彼の中にあったからだと思います。
そしてそんな場面はサッカーではめったにない非日常であり、普通であれば誰でもゴールに向かって蹴ります、そうじゃないとユニフォームは着れなくなります。
当たり前ですが、非日常はめったにないから非日常で、突然起きるから非日常ですが、そんないざというときにこそ、その人が分かります。
緊急事態宣言にもあまり緊急性を感じなくなった近頃ですが、やっぱり昨年からの続くコロナの影響で今まで通りではない今を過ごしています。そしてそんな時だからこそ良いも悪いも人の本質が見えてきている気がします。
一部の地域では医療崩壊がおこり、多くの人が色々な犠牲を払いながら自粛している中、政治家や医師会の偉いさんはパーティーピーポーになったり、他のイベントは規制しながら国民の半数以上がやりたがっていないオリンピックはやろうとしたり、メディアの偏りがさらに磨きがかかってきたり…
こんな異常な状態はコロナがきっかけだとはいえ、元々持っていた部分がより大きくなって剝き出しになって現れているだけのような気もします。
いざというときになると誰も余裕がなくなります。
普段できていることもできなくなります。それを誰かのせいにしたくなる気持ちはありますが、こんなときはそんなもんだと思うしかないのかもしれません。
ただやっぱりこういうときのための備えが必要なんだとは思います。
これからもいつも通りの生活が続いていくんだと、日常のことだけを考えていると目の前のことしか見えなくなりがちです。
コストだけを考えて病床を減らしたり、お金にならない研究をやめたり、目先のことだけ考えてしまった結果、当たり前の日常が失われることになります。
細かな修正だけではなく大きな根本的な考え方みたいなものを変えなきゃいけない、そんな限界を見た気がしました。
『 テクノロジー 』
僕のまわりにはなぜか毎日元気なシニアの方々がいます。
そして最近よく聞かれることはコロナのワクチンの予約の取り方がわからないという相談です。
「どうやって予約したらいいのか?」「パソコンの使い方がわからない」「コロナで子供に会えなくなったから、なにかあったらいつも相談していた子供にも頼れない」「え、ワクチン?」
こんな相談を毎日のようにきいています。
MMD研究所による「2020年シニアのスマートフォン・フューチャーフォンの利用に関する調査」(60~79歳の男女1万人を対象にした調査) によると、シニアの9割がモバイル端末を所有していて、そのうち約8割がスマートフォンを使用しているという結果になったようです。
この数字だけを見るとほとんどのシニア世代の方はスマホを持っていて、普通に使いこなしているように思われがちですが、現状はスマホは持っているけど使いこなせていない方が大半です。
あくまでも僕のまわりにいるシニアの方々の話ですが、通話だけしている方、写真は撮れるけど人に撮った写真を見せられないとか、写真を送れないとか、LINEを入れたけど使い方がわからなくてそのままにしているとか、かかってきた電話のとり方もわからないとか、中には家の金庫に入れたままにしているとか、、。
もちろん使いこなしている人もいますが、僕のまわりの多くのシニアの方々はスマホは持ってはいても使いこなせていない人がほとんどです。
今は情報弱者には優しくない社会だと思います。買い物だって、旅行だって、ネットを使う人のほうが安くて幅広い選択肢があります。知る努力をしないからダメだとか、使えるようにならないからダメだとか、そうかもしれませんが、それはあまりにも優しくない。今回の件はお買い物や旅行の話ではなくワクチンです。
いまのワクチンの予約は簡単ではありません。ものすごくギャップを感じます、もっと現実を見てほしいと思いました。
「人がテクノロジーに歩み寄るのではなく、テクノロジーが人に歩み寄るべきだ」
といったのは台湾のデジタル担当大臣オードリータンですが、本当にその通りだなぁと痛感しています。
かなりアナログな私ですが、今はできる限りで教えさせてもらっています。
日本、アメリカ、ドイツ、スウェーデンの高齢者を対象に実施した内閣府の国際比較調査(昨年12月から今年の1月まで行われた60歳以上の5千人が対象の調査) で日本の高齢者の約3割が親しい友人がいないと回答しました。
調査をした4ヵ国の中で割合が最大だったという、つまり日本人の ”近所付き合いの希薄さ” が指摘されたニュースがありました。
最近よく思うことは、こんなにテクノロジーが進歩する前にもしコロナがあったとしたら、どうなっていたんだろうか?ということです。
インターネットもなく医療も科学技術も今よりは進んでいない時代です。
もちろん現代のほうがいいことのほうが多いのかもしれないですが、地域ごとに助け合うとか、困っている人に手を差し伸べるような、そんな当たり前のことがもっと自然に行われていたんじゃないのかなぁと思ったりしますし、今のように表面だけの形だけの細かくつくられたシステムがなくともそれを補うようなものが自然とできていたんじゃないのかなぁとも思ったりもします。
とにかくどんなに便利になろうとも使うのは人間です、そしてシニアの方々に必要なのは毎日の感染者数とかではなくて、いまその人にとって必要な情報であり、そして分かりやすい情報だと思います。
とにかくこんなときは、思い通りにならないことばっかりです、それを誰かのせいにしてしまいがちですが、こんなときこそけんかばっかしないでみんなで助け合わなきゃなりません。
と、センチメンタルなおじさんは思うのでありました。