「人が1日に選択する回数は?」コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授によると平均的なアメリカ人の場合『1日で70回』の選択を下しているようです。
”選択”の捉え方が難しいので1日2万回という説もあるようですが、普通に暮らしている中でも朝何時に起きるか?どんな服を着るか?朝は何を食べるか?など知らず知らずの間に選択をしていると考えるとかなりの選択をしながら生活しているのだとあらためて思います。
『選択』について考えさせられた本があります、【欧米に寝たきり老人はいない】という本です。
ご夫婦で内科医をされている著者の宮本顕二さんと宮本礼子さんは2012年に『高齢者の終末医療を考える会』を立ち上げて日本の終末医療の問題提起をしているお二人です。本では様々な立場の人達の意見や体験談、そして海外と日本との終末医療の違いなどが分かりやすく書かれていて興味深い内容です。
例えば日本では高齢になり食欲がなくなると”胃ろう”(お腹に小さな穴を開けチューブで胃に直接栄養を入れる栄養投与の方法)をすすめられることが多いようです。日本の病院では管に繋がれた寝たきりの患者が多く訪れた外国の医師が驚いたエピソードがあります。海外では自力で食べられなくなった場合は無理に食事を与えないのが当たり前のようです。欧米の医学生なら誰もが学ぶ有名な内科の教科書『ハリソン内科学』では「死期が迫っているから食べないのであり、食べないことが死の原因になるわけではない」書かれているほど当たり前のようです。
86歳の男性は点滴を抜いてしまうため両手をベッドの柵にしばられて、起き上がろうとするため今度は胴体も縛られたという日本に対して、スウェーデンでは患者の身体を縛ってまで医療はしないと言われたというエピソードや、患者が苦しむ延命治療はしたくないが様々な問題があり思うようにできないジレンマ、家族も延命治療をしたくはないが周りの目が気になりどうしていいかわからない方、自分の判断が正しかったのか悩み続けている方、あるいは年金受給のために延命治療を続ける例など様々な方の意見や体験が書かれている本を読んでいると、深く考えさせられます。
そして日本では80%以上の国民が望んでいない延命治療が、実際には終末期のほとんどの人に対して当たり前のように行なわれています。
その原因として、
①延命至上主義
②自分の意思を家族に伝えていない
③診療報酬や年金受給などの社会制度
④医師が延命措置を怠ったと訴訟を起こされる可能性
⑤倫理観の欠如
などがあるようです。
「人は最期まで人として生き、人として生きたいのでは?」生命維持装置で生かすのが博愛主義や人道主義だとの勘違いは即改めて、個人の人間性を守るために、完治する見込みのない高齢者の死ぬ権利を認めるべきだと思います。ほとんどの親は子供や孫に負担をかけずに静かに天寿をまっとうすることを望んでいるはずです。
というメールが私はとても心に残りました。
”いかに長生きするか”ということも大切ですが、”どういう生き方をするのか”ということもより大切になってくるのだと感じました。
チャントチャントプロジェクトは『シニアのライフデザインプロジェクト』というテーマでスタートしましたが、当たり前に過ぎていく日々の生活の中にある”小さな選択”が少しずつでも意識していくことで大きな違いになるものだと思います。
プロジェクトで行う小さなチャレンジのひとつひとつの積み重ねが、シニアの方がいつまでも自分らしく生きていけることにつながれば素晴らしいと思っています。
最後にオススメの映画です。
舞台はイスラエルの老人ホーム、発明好きの主人公ヨヘスケルは病に苦しむ友のためにある発明をします。
最期まで自分の人生は自分らしく生きていきたいという映画でユーモアたっぷりですが、とても考えさせられる映画です。
邦題『ハッピーエンドの選び方』、『The farewell party』(送別会)です。