『 ひまわり 』

絶望感と無力感の感情がごちゃ混ぜになっています。

世界の歴史を振り返ると戦争がなかった時代はないわけですが、それにしても目の当たりにするとあまりにも理不尽で悲惨です。

抑止力としての軍事力はあるのだとは理解したとしても、結局いまの時代でも何ら変わっていなかったという、歴史から学ばない、過ちを繰り返す姿を見せつけられました。そして世界中がそれをただ見守るしかない、というのはなんとも言えない気持ちになります。

泥沼化したベトナム戦争を終結させた理由のひとつが『テレビの普及』と言われています。メディアが戦場の悲惨さと馬鹿らしさを伝え始めたことは今までの戦争においては無かったことでした。

そしてそれは、大きな意味があったはずです。

 

『 WINTER ON FIRE 』

Netflixで『 WINTER ON FIRE 』というドキュメンタリー映画を観ました。

映画では、2013〜2014年の頃のウクライナの姿を見ることができます。

ウクライナの当時の大統領はロシア寄りのヤヌーコヴィチでした。

ウクライナはEUとの政治・貿易協定の仮調印を済ませましたが、ヤヌコーヴィチはロシアからの圧力もあり調印を見送ります。これに対してウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生、デモには子どもから高齢者まで参加し拡大していきます。

デモを抑えたいヤヌコーヴィチは全身黒ずくめの”ベルクト”と言われる特殊部隊を使い容赦無く群衆を攻撃します。

それに立ち向かうのは武器を持たない一般市民。

デモを抑えるために様々な圧力をかける政府はヘルメットを禁止したりしますが、市民はヘルメットがダメならと鍋を頭にかぶってデモに参加します。

多くの怪我人や死者も出しながらも自由を取り戻すためのデモは93日間も続き、とうとう大統領はキエフから逃げ出しました。

自由を勝ち取るウクライナの人々の凄まじい姿と、心の強さが理解できるドキュメンタリー作品でした。

 

『 FCスタート 』

FCディナモ・キエフはウクライナの首都キエフを本拠地とするプロサッカーチームです。

1941年、FCディナモ・キエフの新スタジアムのこけら落としの日にドイツ軍がウクライナに侵攻しました。

試合はもちろん中止され、キエフはその後ナチス・ドイツに占領されます。

占領下の選手達はチームを離れバラバラになりますが、FCディナモ・キエフの熱烈なサポーターだったパン工場の工場長が、練習できる環境を提供することになると、集まって来た選手達は再びサッカーを始めます。

そんな中ドイツによるウクライナ・サッカー再開の宣言が始まり、ディナモ・キエフの選手達は「FCスタート」としてリーグに参加することになります。

試合の相手は、ハンガリーやルーマニア軍などの兵士たち。

恵まれた練習環境で試合に挑む相手チームに対して劣悪な環境で挑むFCスタート、試合では明らかに相手に有利な笛を吹く主審がいるにも関わらず、FCスタートは勝ち続けます。

占領国側の勝利をキエフ市民に見せつけるためのサッカーの試合が、逆にキエフのチームが勝ち続ける展開になります。ドイツ軍はついに、自らFCスタートと戦います。結果はFCスタートが2戦して2試合とも勝利します。

ただ、ドイツ軍がこれで終わるはずはなく、試合に出場した選手はゲシュタポに逮捕され収容所に送りこまれました。そしてこの収容所から帰還できた選手はほとんどいなかったそうです。

ドイツ軍による脅しや圧力にも負けず、最後までサッカー選手としての誇りを失わなかったFCスタートの選手達の戦いは今でも「死の試合」として語り継がれています。

 

『 勇気 』

ウクライナ代表ルスラン・マリノフスキーはヨーロッパリーグのオリンピアコス戦に出場し、66分にチームの2点目になるゴールを決めるとユニフォームのシャツをまくりあげました。

そこには「ウクライナでの戦争に反対する」とメッセージが書かれたTシャツがありました。主審はルールでは出さなければならないイエローカードを出しませんでした。主審である前に人間であると言っているようでした。

ウクライナ代表のオレクサンドル・ジンチェンコが所属するマンチェスター・シティの選手たちは、ユニフォームの上にウクライナの国旗と「NO WAR」とメッセージが書かれたTシャツを着て入場しました。対戦相手エヴァートンの選手たちはどうするのかなと思っていたらウクライナの国旗をマントのように羽織って入場しました。

ドイツのシャルケはロシアによるウクライナ侵攻を受け、胸スポンサー(メインスポンサー)であるロシアの『ガスプロム』社のロゴをユニフォームから外すことを発表、そのスポンサー名を削除したユニフォームは注文殺到で販売サイトがダウンするほどの人気だったようです。

ロシアのプロテニスプレイヤーのルブレフは、試合後にカメラにマジックで『NO WAR PLEASE』
のメッセージを書きました。

ロシアのサンクトペテルブルクで反戦デモ中にロシア当局に逮捕されたのはエレナ・オシポワさん。彼女は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって900日間近くにわたり包囲された「レニングラード包囲戦」の生存者なんだそうです。

国とか立場とかは重要ではなく、そんなことより自分の思っていることを伝えていく勇気が、大きなエネルギーになっていくのを感じます。

個人的には苦手なSNSですが、こんなときには必要なのかもしれないと思っています。

 

一方で自分の意志に反して何かを言わされたり、やりたくないことをやらされている人を見るのは嫌な気持ちになりますが、戦争はその最たるものかも知れません。

一部の狂人のために人の自由や命を奪っていい理屈なんてあるわけがない、早くこの馬鹿げた戦争が終わってほしいと思います。

 

『 ひまわり 』

ウクライナのヘルソン州ヘニチェスクで機関銃をもつロシア兵に近づいていく女性がいました。

彼女は武器はもっておらず、もっているのはひまわりの種だけでした。

彼女はロシア兵に「あなたがここで死んだ時、ひまわりが育つようにこの種を持って行きなさい」

ロシア兵は「わかった。この会話は何も生まない。これ以上、事態を悪化させないようにしよう」と言った。

しかし、女性は続けて言った。

「みんな、この種をポケットに入れなさい。この種を手に取りなさい。あなたたちは一緒にここで死ぬでしょう。あなたは私の国に来ました。わかっていますか。あなたは占領者です。あなたは敵です。そしてこれから、あなたは呪われるのです」

このときの女性のひまわりの種は、機関銃よりも力があったのではないでしょうか。

平和は平和なときにいくら言ってもわからない、無力で不安定で、あっという間に失うものだと気づかせてくれました。

ウクライナ人ではないし、シニア支援プロジェクトとは関係がないのかもしれないけれど、その前に人間です。

1日でも早く平和な日々が訪れますように。

『 雨晴 』

18歳の頃の自分へのメッセージを送るとしたら、なんて送るのだろうか?

届くはずもないメッセージを考えるというのもおかしな話ですが、いざ考えてみるとすると、過去の自分に言っておきたいことは、ひとつやふたつはある気がします。

さんまさんの番組で、76歳の秋元秀夫さんという方が18歳の自分に対してビデオメッセージを送っているという場面がありました。

「お前は勤め先で知り合った、顔の小ちゃい可愛いハナちゃんと付き合うことになるぞ!

あんまりモテないお前は、こんな俺なんかっていう事で結婚を迷うけど、思い立ったらすぐいけよ!

何故ならハナちゃんは2年後に病気で亡くなるんだ

お前は凄く後悔し悲しんで、ずっと忘られなくなる

だから76歳になった今でも独身のままだ!

だから秀夫、俺の代わりに伝えておいてくれ!

俺の人生の中で一番愛していたのがハナちゃんだ!

そして、最も好きだったのがハナちゃんだ!

ハナちゃん愛してるよ!」

見ず知らずの76歳の男性の、52年前の自分へのメッセージなんですが、何度見ても泣きそうになります。

 

『 タイムマシン 』

あのとき、言っておけば良かった言葉や、あのとき別の道を選んでおけば良かったという分かれ道とか、そんな後悔は誰にでもあると思います。

1905年、お笑い芸人じゃないアインシュタインは速く動くほど時間の流れが遅くなったり空間が縮んだりするという特殊相対性理論を発表しました。

宇宙論・一般相対性理論を研究する二間瀬(ふたませ)敏史・京都産業大学理学部教授の朝日新聞DIGITALの記事にこんなことが書いてありました。

例えば光速に近い速さの宇宙船に乗れたとしたら、時間の流れの速さが7分の1になります。

そんな宇宙船で1年間の宇宙旅行に出かけたとすると、地球に帰ってきた頃には地球では7年が経っていて、つまり未来に行くことになります。

地球の周りをぐるぐる回るGPS衛星は、高度約2万キロの上空を秒速約4キロのスピードで飛んでいて、地上よりも1日あたり100万分の7秒ゆっくり時間が流れているんだそうです。そのため補正する調整がしてあったりするようです。

また新幹線も時速300キロで東京から博多に移動すると、時間が10億分の1秒だけ遅れるようです。つまり新幹線は10億分の1秒だけ先の未来に行けるタイムマシンなんだそうです。

普通の人よりは新幹線に乗るほうなのでテンションが上がりました、10億分の1くらいですが。

ただバックトゥザ・フューチャーのデロリアンみたいに、思い通りに過去や未来に行くことは難しいみたいです。

 

『 クライオニクス 』

クライオニクスとは、液体窒素を使って超低温で人体を冷凍する技術で、いまの医療では治らない病気を、未来に医療が進歩したときに蘇生して治療しようという、人体冷凍保存です。

2016年、がんで亡くなったイギリスの14歳の少女がこのクライオニクスをするというニュースがありました。またこれは違法ではないのかという問題になったことも合わせて話題になりました。

国によっては違法になることもあるというクライオニクスですが、現在この少女はアメリカのミシガン州にある-196度の低温保持装置の中で眠っているようです。

何百年先なのか、あるいはもっと先なのかも分からない頃に彼女が目覚める時が来たら、どんな未来がそこにあるんだろう。

長生きの時代といっても、人によって与えられた人生の時間は違います。

誰しもやり残したことや、伝えておきたかったことはあるのだと思います。進化する科学技術によってそんな想いも少しずつ減っていくのかもしれません。

 

個人的にはタイムマシンで過去に戻りたいとか、カチンコチンに冷凍されるよりは、あのときああしておけばよかったなぁと言っている生き方のほうが好きだなぁと思います。後悔がない人生なんてつまらない。

 

『 雨晴 』

先週、富山の氷見に行きました。

高岡からガラガラの1両編成の電車に乗ると右手には海が見えます。

氷見の手前に「雨晴」(あまはらし)という駅があって、そこから見る海は絶景でした。海に浮かぶように見える雪化粧した高山は、誰かに伝えたくなる、なんだか異次元の景色でした。

万葉集や松尾芭蕉の『おくのほそ道』にも登場するこの「雨晴」は、源義経が奥州へ逃げるときに雨宿りした場所だとも言われています。この海岸で雨の晴れるのを待ったという、それが地名の「雨晴(あまはらし)」の由来となっているんだそうです。

はるか昔から、色々な時代でこの景色を見た人達がいたのだろうと思うと大きな時間の流れを感じます。

平和な時代もそうじゃない時代も、ずっと変わらない景色がそこにあることは、人間のちっぽけさと生きている時間はあっという間なんだと考えさせられます。

ここ2〜3年は、コロナのボディーブローのような雨が続いていて、止んだと思ったら、また降りだしたり、なかなか雨が止まない時間が続いています。

もうそろそろ雨宿りはいいから、晴れたらいいなぁ、久しぶりに。

 

『 そこらじゅう 』

どうやら2022年になりました。

 

昔に比べてお正月らしい雰囲気が少なくなったような気がして、好きでもないお餅を食べました。あんなに嫌だったお正月も無いよりはあったほうがいいように感じる、どうやらそんな歳になったようです。

昨年の大晦日にはちゃんとちゃんとの学校のバロンドーラー、岡山の星島美子さんからいただいた世界一美味しいイチゴをごちそうになりました。

2019年の年末に開催した『ちゃんとちゃんとの学校の学園祭』にわざわざ参加いただいた星島さんと、手伝いに来ていた当時中学3年生だった私の息子がたまたま仲良くさせていただくようになり、それ以来その恩恵を受けさせていただいています。

 

『 今年は… 』

今年はサッカーのワールドカップが開催されます。もしかしたら日本代表も出場できるかもしれない今年の大会は初めての中東、カタールでの開催になります。

カタールはアラビア半島にある国で、サウジアラビアの右側にちょこっとくっ付いているような形で、面積は秋田県くらいの小さな国です。

石油プラントのおかげで世界一裕福な国として取り上げられたこともあるカタールは学費、医療費、電気代、水道代、電話代はすべて無料で、所得税も消費税もないというから驚きです。

なんてうらやましい。

ちなみにイスラム教徒の国なので基本的にアルコール、豚肉がダメなんだそうです、これはうらやましくない。

カタールはほとんどが砂漠です。5月〜9月頃は気温が50度近くになることもあるようなので、通常6月〜7月に行われるワールドカップですが、11月〜12月にかけての開催に変更されました。

人口に占める65歳以上の方の割合を高齢化率といいますが、2019年のカタールの高齢化率は1.5%、人口のほとんどが海外からの出稼ぎで成り立っている国ならではの数字ですが、日本の高齢化率が29.1%ですから、それを考えると、やはりすごいと思います。

 

『 ヤングケアラー 』

本来は大人がやるべき家事や家族の世話などを日常的にする子どもを、「ヤングケアラー」と呼びます。

昨年4月に発表された国の実態調査によると、中学生の17人に1人がこのヤングケアラーになるとのことでした。

1日平均4時間もの時間を食事の準備や洗濯、保育園などの送迎、祖父母の介護や見守りなどに費やしているようです。

その結果として自分の時間が取れない、勉強の時間が取れない、睡眠時間が十分に取れない、などの問題が出てきており、また7割近い中学生はそのことを人に相談したこともないということでした。

 

 

わたしが間違っていなければ、今年で7年目になるこのちゃんとちゃんとの学校はシニア支援プロジェクトとしてスタートしました。

そしてあっちに行ったりこっちに行ったりしながら、自分たちにできるシニア支援のかたちを探してきました。

要介護の予防、自立支援、病気の予防、そして認知症に対する考え方、またシニア世代の方が中心になって生み出していく新しい価値観、そして誰かに支えられながら生きていくことも大切な時代なんだということ。

そんなことをちゃんとちゃんとの学校を通じて学んできた気がします。

そして今思うのはシニア支援はシニアだけの問題ではなく、誰かの人生は誰かの人生に必ずつながっているということです。

誰もが元気で長生きであればいいですが、病気になったり身の回りのことが出来なくなり介護が必要になったり、様々なことが起こる、それが長生きの時代です。

ヤングケアラーのことを考えるとますますシニア支援は全ての世代に関わる問題だと痛感します。

 

神奈川県の藤沢にある小規模多機能ホームぐるんとびーの代表を務める菅原健介さんのTwitterを見てハッとしました。

写真には高齢の女性の手に小さな手をちょこんと乗せる赤ちゃんの姿がありました。(*この写真ではありません。)

「この小さな手がどんな専門性よりも大きな力を発揮することもある

人が人をケアする中では専門性は一つのツールでしかない」

この投稿を見ると、カタチにこだわる必要はないというか、シニア支援もシニア支援に関わる人だけでやることではないんだと改めて考えさせられました。

「シニア支援」という言葉を出した瞬間から、人によってはどうしても人ごとに思ってしまうことがあります。そして「シニア支援」と言ってしまえば伝わりやすい代わりにそれ以上に拡がらない、そんな気がします。 

 

今年の抱負なんて言ったことも言う気もないですが、シニア支援と宣言するよりも自分たちが面白いと思うことをやりながら、結果としてそれがシニア支援につながるようなことができたら、誰にでもできるシニア支援ができたら素晴らしいなぁと思っています。

そしてそういうものはそこらじゅうにあるのかもしれません。

 

 

冒頭にご紹介した星島さんは、現在ご病気と闘いながらも、畑の草むしりをしたり、持ち前の明るさで周囲の皆さんを元気にしながら暮らしていらっしゃるようです。

時々星島さんと電話でお話をすることがあります。元気づけようと思っていてもいつのまにか逆に励まされています、そして星島さんみたいになりたいなぁとお話をするたびに思います。

「東京に行ったときにあんたの息子が私の手のひらを見て言ったんだよ『おばあちゃんは150まで生きるよ』って、だからその言葉を信じて頑張って元気になるよ。」

星島さんに聞くまで2人の間にそんな会話があったことも全く知りませんでした。

かたちにこだわらず、まだまだできることはあるのかもしれないと思いました、そこらじゅうに。