『 型 』

バスを降りると80代くらいの男性が地べたに座っている

その男性の上半身を背もたれのように脚で支える70代くらいの女性がいる、聞こえてくる会話からはどうやら2人は家族や友人では無いようです。

「大丈夫ですか?」と声をかけると

「大丈夫で…」と言う男性の言葉を遮るように女性が

「歩けなくなっちゃったみたいなのよ、息子さんに連絡したみたいだけど仕事中だから来れないでしょ、だから息子さんが警察に電話したみたいなんだけどね、警察がいつまで待っても来ないのよ、目の前にある薬局に行って涼ませてもらったらとも言ったんだけどね、警察の人が来たら申し訳ないからここにいるって言うんだよね」

と見ず知らずの私に詳しく伝えてくれました。

「そうなんですね、でもずっとここにいると熱中症になっちゃいますから、手伝いますから一緒に移動しませんか?」と男性に言うと「いやいや、大丈夫ですから、迷惑かけちゃってすいませんね、歳をとるのは嫌だねぇ」と言う男性に対して70代の女性が

「誰でも歳はとるんだから、そんなこと気にしないでいいのよ、それより家は近いの?せっかく手伝ってくれるって言ってくれてるんだし」

とテレビの司会者のように仕切ってくれる、おそらくこの人も男性の背もたれになったまではいいが、ずっとこのままの状態でいるわけにもいかないんだろうし、と、そうこうしていると細いタイヤの自転車でスーツを来た30代くらいの男性が通り過ぎる。

こちらに気が付いたようで、自転車を止めて近づいてきました

「大丈夫ですか?」

私と倒れている男性が説明しようとするよりも早く司会者の女性がさっきより上手く、そして私が途中から参加したことまでも含めたアップデートされた現状を説明してくれている。

そこに4人目の登場

目の前の薬局の40代くらいの女性が心配そうな表情をしながら

「大丈夫ですか?」

と参加してきた。 

 

司会者の女性は長い間そういう仕事をしてきたみたいに流暢に事情を説明してくれました、もう地べたに座っている男性よりこの人が主役だなぁと見ていたら、薬局の女性が

「良かったら薬局で休んでください」

と言ってくれました、ただ倒れている男性は

「警察がくるかも知れないからここを動けない」

と言い、30代の男性は持っていた水を渡して

「飲んでください」

と言ったのですが、

「申し訳ないから大丈夫です」

と男性は受け取らない、薬局の女性は薬局から保冷剤をもってきて男性に渡すが

「いいです、いいです」

とこれも使わない、50代目前の私も何かしないとと

「車出しますよ、家近所ですから」

といったものの男性は予想通り断ります、他人に迷惑をかけたくないという男性の気持ちもわからなくはないのですが、一連のやり取りを見ていた司会者の女性は背もたれにしている脚で男性を揺らしながら

「せっかくなんだから」

と言っても男性は申し訳ないと言って何も受け入れようとしません。 

 

座り込んだ男性を取り巻く4人、これは一人だけ抜けるわけにもいかないし、どうしようかとそんな状況が続いていると警察の人が来てくれました

「〇〇さんですか?やっと見つけました」救世主の登場にみんなほっとしました。

高齢者支援なんて堅苦しい言葉より、こんなことのほうが大切なことなんだろうなぁ、と感じた時間でした。

 

映画『国宝』を観ました。

とんでもなくおもしろかった『トワイライト・ウォーリアーズ』とはジャンルが違いすぎますが、共に素晴らしい作品でした。

吉田修一さんの原作である小説『国宝』は吉田さん自身が3年間、舞台の補助役である黒衣(くろご)の衣装をまとい歌舞伎の世界に身を置いて書かれただけあってリアルで、『悪人』などを撮った李 相日監督、『サマーウォーズ』などを手掛けた奥寺佐渡子さんが脚本を担当し、撮影も日本人ではなくパルム・ドール受賞作品などを手がけたフランスのソフィアン・エル・ファニさんが撮影を担当しているようで、美しい映像とよくできたストーリーで唸りました。

歌舞伎は正直よくわからないですが、個人的にはえらい昔に見た中村勘三郎さんのインタビューが印象的でした。

十八代目中村勘三郎さんは、古典歌舞伎を大切にしながらも、現代劇や野外公演、ニューヨークでの舞台など、従来の歌舞伎にとらわれない挑戦を、57歳でお亡くなりになるまで次々と続けてきた方です。

新しい挑戦は批判されることも多かったみたいですが、そんな勘三郎さんのインタビューで語っていたことが「型破り」についてでした。

型があるから「型破り」ができるんです、型を知らずに好き勝手に自由に振る舞うのは「型破り」じゃなく「型無し」って言うんです。

歌舞伎では演技や所作に「型(かた)」と呼ばれる伝統的な決まりや技法があり、これは何世代にもわたって磨かれてきた、芸の「基本」や「土台」になっている。「型破り」とは、その型をしっかりと身につけた上で、あえてそれを崩したり、超えたりすることを表していることばなんだそうです。

 

若い人は知らない1993年、ドーハの悲劇
ラモスやカズがいたサッカー日本代表は、あと一歩のところでワールドカップ初出場を逃しました。

今思うと、その当時の日本はサッカーの「型」がなかったんじゃないか、野球にはあるけどサッカーにはまだなかったんだと思います。
技術や戦術やフォーメーションではなく、習慣とか文化とか長い月日をかけて受け継がれてきたもの、染みついてきたもの、「型」とはそんなものが集約されたものなのかもしれません

あの時の悔しさが日本の「型」を生み出す原動力となったのかもしれません、今の日本サッカーには「型」があって、「型破り」の
段階まで来ているのかもしれません
歌舞伎の世界でも、型無しは未熟、型破りは芸の極みというそうです。

 

総務省がまとめた15日現在の人口推計では、65歳以上の高齢者は3619万人と、去年と比べ5万人減りましたが、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は29.4%と過去最高になり、働く高齢者の数も930万人と過去最多を更新しました。

勘三郎さんが批判を受けながらも「型破り」を大切にしたのは、新しい挑戦を続けることが歌舞伎の存続に必要だと感じていたからだったようです。 

敬老の日を迎えた高齢化先進国の日本では、長生きの時代に必要な「型」はすでにあるのかもしれません、ただこれからはそれを上回る「型破り」な挑戦が必要なのかもしれません。

 

『 ピーク 』

暑い夏にアリは働いて、キリギリスはバイオリンを弾いて遊んでいた、冬になってアリは生き延びてキリギリスは飢え死にした。
 
遊んでばかりだとダメなんだという話ですが、以前読んだ本には「アリは生き延びたが、いつ遊ぶんだ?」と書いてありました。
 
 
なるほど、そう言われてみたら確かにそうです。
ただアリだって時々遊んでいただろうし、キリギリスだって一日中バイオリン弾いていたわけじゃないだろうし、、あと細かいことばっかり言うと嫌われますが、そもそもキリギリスは寿命が短くて冬は越せないみたいですから、好きなことやらせてあげてやればいいのにと思ったりします。
とにかく、6月なのに暑いです。
 
 
久しぶりにちゃんとちゃんとのメンバーの清水絵理さんからメールがありました

「老年学研究科をつくった柴田博先生という方のインタビューが聞けますから、良かったら聞いてみてください」

 
 

 清水さんは介護の仕事や、マクロビオティック、老年学を学ばれたり多才な方で、ちゃんとちゃんとの学校の核になるような考え方を教えていただいてきた特別な存在です。

電車に乗りながら聴き始めるとメモしたいことばっかりで、何回も止めてメモしたりまた聴いたりしてるうちに乗り過ごし、乗り過ごした駅のホームのベンチでもメモをとるくらい面白かったです。

 

1960年代までは歳を取ることは悪いことだと考えられてきたようです。

それは体力や記憶力が落ちたり、今まで出来ていたことが出来なくなっていくからで、つまり歳を重ねることは良いことはなく悪いことしかないと考えられてきたようです。

 
 

ただ1970年代以降、その考え方は少しづつ変化してきます、歳をとればとるだけ良くなっていく能力があることもわかってきたからです。

例えば目の前で起きたことを瞬時に判断して問題を解決する能力を『流動性知能』と呼び、これは若い頃のほうが高いようですが、過去に経験で得た知識をもとに問題解決する能力を『結晶性知能』と呼び、これは年齢と共に高くなるようです。

徐々に落ちていくというのは思い込みで、歳をとることは悪いことばかりじゃない、なんだか明るい気持ちになる内容でした。

 

そして印象的だったのがライフイベントの話です。

人との出会いが増えたり、出来ることが増えたり、明るいライフイベントが多い前半に比べると、後半は人との別れや、出来ていたことが出来なくなっていくことが増えたりと暗いライフイベントが増えます。

 

 

これが年齢とともに身体だけじゃなく精神的にも元気が失われる理由だと思われていたようです。

ただ現在では、歳を重ねても明るいライフイベントを増やしていけば、いくらでも精神的にも健康になれることも分かってきているようです。

確かに健康寿命が延びても楽しみがないとつまらない、これからはもっと歳をとるのが楽しみになるようなイベントが増えたらいいですね。

 

山の頂上や、何かの最高値、最盛期なんかをピークといいますが、ふと思ったことがあります。人生のピークはいつなんだろう?
 

例えば記憶力は18歳頃がピーク、体力は20歳前後、好奇心は3~6歳、モテ期は27.8歳、収入が高いのは50代、集中力は43歳前後、語彙力は67歳前後、、、とCopilot先生が言っていました。

もちろん人によってピークは違うんでしょうが、100歳の年表を書いてみるとピークの山は前半だけに固まっておらず、後半にもありました。

そして幸福を感じるピークは90歳以降なんだそうです。

それはエイジングパラドックス(Aging Paradox)とも言われていて加齢に伴ってネガティブな状況が増えるにもかかわらず、高齢者の幸福感は低くないようです。

70代~80代はそこまで高くない幸福感が、なぜか90代以降は高くなってくる。

それは物質的で合理的な世界観から解放されて、宇宙的、超越的、非合理的な世界観に変わっていくことが関係していて、それを”老年的超越”と呼ぶんだそうです。

確かにそういう達観しているようなお年寄りは時々お会いしますし、そういう方は90代以上だったような気もしないではないです。

そういう方は自然と周りにいる人の気持ちを和ませていたり、優しい空気をつくっていたりします。

 

教科書に載っていた”スイミー”を書いたレオ・レオニの作品に『フレデリック』という絵本があります。

小さなネズミたちが冬に備えて食べ物を集めている、フレデリックだけは他のネズミと違ってじっとしています。

寒くて暗い冬のために光をあつめ、色をあつめ、言葉をあつめているのだと言う。

寒い冬が来て食料が底をつき暗い洞穴の中でほかのネズミを癒したのはフレデリックの話でした。大好きな話です。

 

何年か前にちゃんとちゃんとの学校のメンバーで食事をしているときでした「健康寿命を延ばそう」、「何歳になっても社会に出て活躍するようなお年寄りが増えたらいい」とみんなで話をしていたら

「長生きするだけで素晴らしいじゃないですか」

と清水さんに言われたことが忘れられません。

長生きするだけでも価値がある、その価値は分かりにくくて、数字にもならなくて人に伝えにくいことだと思います。

だからといって無いわけじゃないし、誰もが知っていることなのかもしれません。

長生きするのはいいことばかりではありませんが、若い頃のようにもっと楽しいライフイベントが待っていたらいいのにと思います、何かないかなぁ、来月聞いてみよう。

 

 

 

『 片想い 』

最近Spotifyが擦り切れるぐらい聴いている歌が『片想い』です。

 

『片想い』は恋愛の歌ではなくて、”生き方”の歌です。

好きなことだけをやっていては生活がままならない、でもただ生きているだけでは心がままならない、そんな歌です。

そりゃそうなんですが、どう生きていきたいかということに関しては誰もが片想いで、誰もが両思いになるようように頑張っているんだなぁとも思います。

 

シニア世代のトランプさんの言動に世界中が振り回されています。

フジテレビと大谷選手のニュースばっかりだったテレビが、一転トランプ政権の高関税政策の話題で持ち切りです。

アメリカだけを良くすることなんて出来るわけないですが、近年世界中で起こっていた自国中心的な考え方は今回の件でより一層強まっていくような気がします。

ミツバチの世界では働きバチは女王バチの為に自分の一生を捧げるわけですが、それは女王バチの為に自分を犠牲にしているように見えますが、結果的には働きバチの遺伝子を増やし途絶えないようにすることに繋がっています。

遺伝子は自分自身のコピーをつくることによって生きながらえていくわけですが、その目的のためには遺伝子は利己的にふるまったり、利他的にふるまったりしながら命を繋いでいる、分厚くてひいてしまったリチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』にはそんなことが書いてありました。

自分勝手な遺伝子は強いように思えますが、実際には淘汰されて、相手本位の遺伝子が結果的には生き残る、そのことをわかっていながらあえて利他的にふるまう、それは利己的だともいえるんだと思います。気絶するほど長い生存競争で生き残った遺伝子は優しくもあり計算高くもあるということなんでしょうか。

体は遺伝子を乗せた乗り物で、遺伝子は体を乗り捨てながらそのコピーを繋いでいくわけですが、その中には“ミーム”も含まれるんだそうです。ミームとは文化的な情報の基本単位で言語や、音楽、習慣、ファッションなども含まれ、そういったものも人から人に伝わることで変化しながら進化していくようです。果たしてミームは良くなっているのか、よく分からない問題です。

 

4月14日、総務省は2024年10月1日時点の人口推計を発表しました。去年の日本の総人口は、推計で1億2380万2000人でした。これは前の年より55万人減り、14年連続の減少となり過去最大の減り幅となっているようです。

外国人を除いた日本人の人口で見ると、1億2029万6000人で、前の年と比べて89万8000人減っていて、一方外国人は前の年から34万7000人増えて、350万6000人となり、過去最多となりました。

総人口を年齢区分別にみると、65歳以上が3624万3000人で、1万7000人増え、総人口に占める割合は29.3%と過去最高となりました。75歳以上の人口は、2077万7000人で、70万人増え、割合は16.8%で、これも過去最高となっています。

一方、15歳未満の人口は、1383万人で、前の年から34万3000人減り、総人口に占める割合11.2%で過去最低となりました。

また15歳から64歳の「生産年齢人口」は7372万8000人で、前の年より22万4000人減り割合は59.6%となりました。

人口減少が進み、少子高齢化が進み、外国人が増え、働き手が不足していることがより浮き彫りになった推計です。

 

そんな中、4月からは育児・介護休業法の改正が段階的に施行されるようです。

例えば育児に関しては予防接種や健康診断、病気やけがでしかとることができなかった子供の看護休暇が感染症に伴う学級閉鎖や入園(入学)式、卒園式などでも取れるようになったり、介護においては【週の所定労働日数が2日以下で、継続雇用期間6か月未満】は除外の対象だった介護休暇ですが、4月からは【継続雇用期間6か月未満】という部分がとっぱらわれて【週の所定労働日数が2日以下】だけが除外対象になるように変わります。

仕事と育児・介護を両立できるようにそんな政策が少しでも増えることはいいことですが、ただでさえ大変な状況で、さらにそこに物価高騰が続き、ガソリンや米も値下がりする気配すらないことを考えると、そりゃあ子供を産んで育てるのも不安になるのは仕方ないことだと思います。

暗闇の中では飛ぶ虫が光に集まってくることがありますが、あれは光が好きで集まっているのではなく、虫は太陽や月などからの光に対して、背中を向けて飛ぶことが正常な飛行姿勢になるようです。

ところが人工的な光に対しても同じように飛ぶので方向感覚を失って、光に向かってぶつかったり集まったり、虫取り機で死んじゃったりするんだそうです。

暗い時代には光が必要だと思います、衣食住の生活が大切なことは当たり前として、それとは別に好きなことだったり、生きがいだったり、うまくいくかいかないかより、どう生きていきたいのか、そんな生き方が小さな光になるような気がしています、そしてそれがないとままならないと最近強く感じています。

働き手の少ない少子高齢化の長生きの時代には、健康でいれる時間を少しでも増やすことは大切です、ただそれは目的ではなく何歳になっても自分の思うように生きることのためであるべきだとも思います。年齢を重ねても好きなことに取り組む姿はきっと暗い社会を明るくしてくれるはずです。

 

冒頭の『片想い』という歌はSUPER BEAVERというバンドの曲です、今年が結成20周年で、今月さいたまスーパーアリーナで行われたライブはTHE YELLOW MONKEYとの“対バン”でした。

売れない時間が長いバンドで、そんな時期に聞いていた憧れのバンドと同じステージで演奏する日が来るとは思ってもみなかったと言って、この歌を歌っていました。

その憧れのバンドのボーカルは「バラ色の日々は、満たされた日々じゃなく困難に立ち向かっている、もがいている日々なんだと気がついた」とMCで語っていました。自身の病気の経験やこれまでの経験を踏まえての言葉には深みがありました。

やっぱり飛んで火にいる夏の虫みたいに頑張りたいと思います。