『 トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー 』

熱狂と感動と、お金にまみれたワールドカップが始まりました。

ツルピカ頭のFIFAの会長と、なんでもありのアメリカの大統領がレッドカードで出れないはずの選手を出れるようにしたりと、まぁ露骨なことをやってました。

「FIFAの汚職?そんなことは今に始まったことじゃない」とモウリーニョがいえば、「FIFAは金と汚職の巣窟だ」とそういえばマラドーナも言ってました。

CMをブチ込むために喉が渇いてないのにハイドレーションブレイクを入れ、明らかに偏った判定がでようとも、やっぱりワールドカップは輝いています。

こんなにまとまりと規律があるチームは他にないぐらいの完成度の日本代表は素晴らしかったですし、カーボベルデ、バイキングローのノルウェー、久しぶりに強いイングランド、次も出るかもしれないメッシ、かなり強いスペインとモロッコ、そしてここに勝てる国なんかいない圧倒的1強なフランスと、まあ、毎日幸せな寝不足です。

 

1年に1回、母校の大学で講義をさせていただいています。ちゃんとちゃんとでお世話になっている眞鍋先生が機会をつくっていただいて、ありがたいことに今年で8回目になります。

貴重な時間を使って何を話せばいいのか?こんな自分でも学生さんの役にたつ話なんてできるのか?とこの時期が来ると毎回苦悩の日々を過ごしています。

仕事柄、人前で話をすることは多いほうですが、大学で学生さんの前となるとなかなかうまくいきません。自分の子どもに対してしゃべるつもりでと考えた年もありましたが、最近はいまの自分の仕事や現状を客観的に見れる気がして、自分自身に学びがあるように思います。

今年は

①長生きはいいことなのか?

②サプリメントは必要か?

③不老長寿は可能か?

というテーマで考えています。

 

日本は世界一長生きだけど、長生きしたくない国だと言われています。それは良くも悪くも日本独自の考え方が関係しているようです。

そんな話をしてみようかと思いますが、誰も興味ないよなと思いながらパソコンとにらめっこしています。

その作業の合間にローリングストーンズの新曲を聞きましたIn the Stars」、いい曲だなぁと思っていてたらミックジャガーが若返っていました。

ディープフェイク技術を用いて制作したミュージックビデオでは82歳のミックジャガーが1970年代のような姿で歌っています。アーティスト側がディープフェイクを使って作品をつくるとは画期的な気がします。とにかく今も昔もミックジャガーはかっこいいです。

 

産業革命以来の転換期といわれるほどAIの登場で、大きく社会自体が変わろうとしています、働いている人は勿論のことこれから社会に出る人は今まで以上に大変です。

アメリカでは高学歴でもAIに代用される仕事は働き先がなかったり、ホワイトカラーよりブルーカラー労働者のほうが高収入になっていたりしているようです。

日本では人手不足で企業よりも働き手側が優位な状況ですが、2030年頃にはアメリカのようになると言われています。やはり人間はAIに仕事が奪われてしまうのでしょうか

話し相手になってくれて、友達より優しく寄り添ってくれて、的確なアドバイスをくれるだろうし、宿題だって、論文だって、仕事の資料だってあっという間に人より正確に綺麗につくってくれる、映像も音楽も、人類は文句を言わないドラえもんを手に入れたわけです。

のび太君は勉強せずにテストで100点をとることもできる時代ですが、それは富士山の山頂にヘリで送ってもらうようなものです。ヘリだろうが登山だろうが同じ山頂だろうと言われるかもしれませんが、ヘリがないと登れないという事が問題になっています。

本来は自分で行うべき思考や判断、記憶の作業をAIにやってもらってばかりいると脳の認知能力が低下するという、そりゃそうだろう、とは思いますが、その状態を「認知負債」というようです。

目先のことには便利なAIですが、長期的には記憶力や批判的思考力の低下、創造性の減少などの影響を及ぼす可能性があるということで、知らず知らずに借金をしているようです。

ただ、だからといってAIを使わないというわけにもいかないと思います。

計算にしても記憶にしても、どんなに頭がいい人もAIにはかないっこない、今までは機械のように正確に、機械のように速く、わたしたちはそうなれるように努力してきたのかもしれません。AIが登場するとそのアドバンテージはなくなり、誰もが同じようになるのかもしれません。

AIに問いかけられている気がします、人間の価値はどこにあるのか?

人にしかできないことは、人間の価値は「経験」なんだと思います。どこで生まれて、どんな親に育てられて、何が好きで、何が苦手で、どんな友達がいて、真夏に食べたアイスの味とか、大喜びしたり、絶望したり、二日酔いしたり、、

それはあたりまえのようでものすごく貴重なことなんです。どんなにAIが賢くなろうとも決してまねができないことです。どこにも比べられることのない世界に一つしかない自分だけの貴重な宝物です。そんな宝物を大事にしてください。

情報過多の時代です、あまりにも多くの情報に囲まれると人は動けなくなります、失敗したくないからです。

でもそれは経験の機会を減らすことになります。失敗というのは結果ですが大事なのは結果ではなくてその途中です、その途中が一番楽しい、苦しくて思うようにいかない、でもそこが一番大切な気がします。

その時間は誰もが同じ体験ができるアトラクションではなく、唯一無二の体験です、いやなことも苦手なことも楽しいこともごちゃまぜです、そこでの経験はすぐには役に立たないかもしれませんし、一生役に立たないかもしれません、でもそれは人生をカラフルにしてくれます。

社会に出たらたくさん経験して、あと疲れたらさぼったほうがいいです、脳が結果的にそのほうがいいからサボってるんだと思います。集中モードとダラダラモードは脳の神経回路のつながり方が違うみたいです、本当かどうかは知りませんが、僕はそれを信じてほぼダラダラモードです。

とか言いながらも、AIはこれからの仕事に影響はするはずです、ただAIはおなじでもそれを使う人が大切だと思います。

”何を言うのか”より”誰が言うのか”ということです。

それは決してAIを勉強することではなく人としての経験値だと思います。AIとしゃべるくらいだったらお年寄りとしゃべってください。AIが知らないことも知っているのは、おじいちゃんおばあちゃんだけかもしれない、経験値の塊です。

日本の超高齢社会は世界のお手本になります、これからはその経験がいかに価値があるのかを発信していくことも大切だと思います。

明日も、明日も、また明日も、いつか来る最後の日まで

 

 

 

 

 

『 レジリエンス 』

「歩けなくなっちゃいました」

うちの会社の事務員で、ちゃんとちゃんとの学校のメンバーでもある佳子さんから連絡がありました。

病院で診てもらったところ足首の骨に数か所ヒビが入っていたらしく、なんとか松葉杖をつきながら出社してくれたみたいです。

ただラッシュ時の満員電車や乗り換えが不安だったようで、佳子さんは自宅に帰ることをあきらめ、会社に数日間も寝泊まりして業務を続けてくれていたようです。

それはさすがに大変じゃないかと、ガチの帰宅難民を救出すべく車で自宅まで送ることにしたんですが、後部座席に乗るだけでも大変で、松葉杖を使いながら何とか乗り込んだ佳子さんは、いつかのチリの炭鉱から救出された作業員のような感じがしました「身体が不自由な方の気持ちが身に染みて分かりました」と力説していました。

生きていくことは、経験しないと分からないことだらけなんだと思います。

 

『 図書館 』

清水ミチコの『ホルムズ海峡冬景色』を見ながら、こうやって世界は変わっていくんだなぁと感じる日々を過ごしています。

絵が少しづつ変わっていくのに気がつかないアハ体験のようで、いつの間にやら大事なものが消えているような感覚です。

2月の半ばあたりだったと思います。

「100歳図書館そろそろやってもいい時期かなぁと思います」

と幸田さんからLINEがきました。この人のことだから何か理由があってのことだろうと思いながら、久しぶりにじっくり話しました。

「なんかあったの?」

「世の中が変わってきて、なんとなくやっておかないといけない気がして、うまく言えないんですが」

なるほど、たしかになんとなくわかる気がします。

「あと、図書館ってすごいですよね」

「すごい?、図書館が?」

「図書館は本を借りたり、勉強したりするだけの場所だと思っていたんですけど、もっと意味がある場所だったみたいです。」そう言いながら『図書館の自由に関する宣言』の話をしてくれました。

図書館に行くと額に入れて掲げられている「図書館の自由に関する宣言」を見ることが出来ます。

1954年に日本図書館協会の総会で採択されたこの宣言は、戦前の図書館が政府による国民への思想統制の一翼を担い国民の「知る自由」を妨げてしまったこと、その反省から生まれた宣言のようです。

 

「図書館の自由に関する宣言」

「図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする」

第1 図書館は資料収集の自由を有する

第2 図書館は資料提供の自由を有する

第3 図書館は利用者の秘密を守る

第4 図書館はすべての検閲に反対する

「図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る」

 

「すごいでしょ?とがってると思いません?」

“とがってる”とはこの人にとっては、かなりの褒め言葉です。

そう言われてみると図書館の見方が変わってきました。図書館は本を借りるだけではなく、自由を守ってくれる場所でもあったようです。

経済状況、年齢、立場に関係なく誰でも本が読めたり、本を読まなくても膨大な数の本が並ぶ本棚の前に立つだけでも、世界には異なる文化や考え方があることを考えさせられたりします。シンプルで分かりやすい一つの考えで強制的に物事を決めていくことの異常さも考えさせられます。

 

以前に映画にもなった『図書館戦争』では、「メディア良化法」という法によって言論統制が行われている日本が描かれています。問題があるとされた書籍は発売禁止になり図書館からも排除されていきます。また検閲に反対する人たちへの弾圧も厳しさを増していきました。そんな時代に言論の自由や図書館を守るために戦う図書隊が活躍する物語ですが、今見ると違った見え方がする気がします。

古くは奈良時代からあったのではないかといわれる図書館は、長い歴史の時々でじわじわと押し寄せてくる圧力みたいな力に対して、静かに抵抗する象徴みたいな存在だったのかもしれません。

 

『 レジリエンス 』

日本で評価されて世界的に広まったとされている『夜と霧』はオーストリアの精神科医、ビクトール・フランクルがナチスの強制収容所に収容された2年半の話です。

アウシュヴィッツに連行された人々はまずそこで労働力として使えるかどうかで選別され、労働力として価値がないと判断された多くの人はここで殺されます。

残った者はというと、まともな食事も与えられない状態で一日中過酷な肉体労働を強いられます。過酷な環境の中、日常的な暴力と働けなくなると殺されるという日々が続くと人間は感情がなくなるんだそうです。心に蓋をすることで自分がこれ以上傷つかないようにする為の防御本能なんだそうです。

希望を失い自殺する人、人の食料を盗む人もいれば、そんな状況でも人をいたわったり、自分の食料を分け与えたりする人もいるという事を著者は目の当たりにします。

最悪の状況でも生き残った人や、希望を失わなかった人の特徴は、自分自身の中で”生きていく意味”を見つけることが出来た人でした。生きていく意味は与えられるものではなく自分で探すしかないということを、痛いほど感じる名著です。

“人生”という友人がいるとして、人生が自分に何をやってくれるのかと期待するだけではうまくいかない、逆に”人生”という友人から期待されていると考えると、希望がなくても友人のためにできることを探すのかもしれません。

待っている子供の為に、やり残した仕事の為に、それぞれの生きていく意味を見つけた人たちがいて、著者は無事に帰った後に大きな会場でこの体験を語る、この苦しみはそのための調査だと思ってつらい日々を過ごしたそうです。

そんな強制収容所という極限状態において誰が生き残り、誰が絶望に屈したか、人は希望が無くなったときにどうやって生きていくのか、などを精神科医の視点で分析した『夜と霧』ですが、英語版は『Man’s Search For Meaning』(生きる意味を探す)という題名です。

そして『夜と霧』は、物質が圧力を受けても元の形に戻る「弾性」を指す言葉が語源で、近頃よく耳にする「レジリエンス」(逆境を乗り越えて成長する力)の原点になる一冊といわれています。

 

“生きていく意味を探す” なんて言われると、重いなぁと、難しいなぁと感じますが、老年学の先生が言われていた言葉をふと思いだしました。

「生きがい」という言葉は日本にしかないんだそうです。

「生きていてよかった」と思える喜びや価値を指す日本独自の概念ですが、それは直訳が難しいようです、そう考えると日本人には生きていく意味を探すのがちょっとだけ得意なのかもしれません。

簡単に手に入る偽物ばっかりある時代に、生きがいを探すのは簡単ではありませんし、偉そうに言える立場でもないですが、100歳図書館でお話を聞かせてもらった方々との対話にはキラキラと”生きがい”がちりばめられていた気がします。

こんな不安定で不透明な時代だからこそ人生の経験は価値があるんだと改めて思います。久しくやっていない100歳図書館ですが、いま本を開くとまた違ったページを見せてくれる気がします。

 

最後に早く佳子さんが良くなりますように

あと関係ないですが龍之介くんが選ばれますように

 

『 Back In the Saddle 』

頭を触ったら地肌だった、真ん中くらい、ちょうどカッパの皿くらい、あるはずはの髪の毛が無くなっている。

ショックを受けながら「とうとうハゲてしまったわ」と家族に言うと、冷静に「まあ歳とるとそうなるんじゃない」と言われ、買ってはいたけど袋も開けずにそのままにしていたAGAの薬を乱暴に破いて飲み始める。さすがにもう遅いだろうと思いながら、でもあきらめたらゲームセットだと思いながら、、

そんなときに目が覚めました、ハッとして頭を触りました、カッパではなくほっとしました。

とはいえ、白髪も増え、髪の毛も少なくなり、小さい字も見辛くなり、くっついたビニール袋がなかなか開けられなくなったり、50にもなると多かれ少なかれそうなるんだと思います。

とはいえ…切ない

 

 『 太く短く、細く長く 』

「不老不死」への憧れは人類の永遠のテーマの一つです。

精力絶倫の王として知られるギルガメシュから名前をとった「ギルガメッシュないと」という番組が昔ありましたが、そのギルガメシュが登場する『ギルガメシュ叙事詩』という紀元前の文学作品では、主人公が「若返りの草」を求めて旅をします。

秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて最終的には水銀などを含んだ「仙薬」を服用し続け49歳で病死。

中世ヨーロッパでは、ハリーポッターでも出てくる「賢者の石」が鉄や銅なんかを金に変える力があると、また不老不死を叶える万能薬でもあると信じられていました。

19世紀に入ると不老長寿はファンタジーから「統計」へと変わります。

「 ゴムパーツ・メーカムの法則 」は生命保険数理や人口統計学で用いられる法則で、成人以降に年齢が上がるにつれて死亡率も上昇していくことを示す数式です。人間は30歳以降8年毎に死亡率が2倍になるなんていうやつで、これにより老化が生物学的な法則に従うことが認識されました。

また「 摩耗理論 」では “体は機械と同じで、使い続けると摩耗する” というシンプルな考え方で、使った分だけ悪くなるという考え方が出てきたりします。

 

20世紀以降から長寿研究がさらに進みます。 

1930年代には、ラットに与えるカロリーを制限すると寿命が延びることが初めて科学的に示されます、「腹八分目」研究の始まりです。

1960年代にはレナード・ヘイフリックによって初めて発見されたヘイフリック限界では、細胞の分裂回数には限界があることが発見され、不老不死は生物学的に不可能であるということがわかりました。

現在も様々な長生きの研究は続いていますが、理化学研究所の小幡史明さんの著書『「腹八分目」の生物学』によると、生物の老化要因は12に分類されるということが書かれていました。

1.ゲノムの不安定化

2.テロメアの短縮

3.エピジェネティックな変化

4.タンパク質の恒常性の破綻

5.オートファジー不全

6.栄養感知の制御異常

7.ミトコンドリアの機能不全

8.細胞の老化

9.幹細胞の消耗

10.細胞間コミュニケーションの変化

11.慢性炎症

12.微生物叢の破綻

これらはヨーロッパの著名な老化研究者によって提唱された「老化のホールマーク(Hallmarks of Aging)」という概念です。

生物が加齢とともに共通して起こる12の変化で、これらが長生きの研究で注目されています。老化のメカニズムは複雑です。

またセンテナリアンと言われる100歳以上の長寿の人の研究もおこなわれていますが、なぜ老化するのか?なぜ長生きなのか?調べようにもなかなか分かりにくいようです。

長寿の研究を人間で大規模実験を行うことが非常に難しいからです。

多種多様な人間が同じ生活リズム、同じ食事、同じ環境、それを長期間、というとなかなか現実的ではないですよね、そんなこんなで動物実験が行われるわけです。

そこで分かってきたことが、マウスやショウジョウバエ、線虫に共通していることがある

”タンパク質を摂り過ぎると早死にする” ということでした。

ほんとはもっと複雑なことのようですが、まぁ、ザックリと言ってしまうとそんな内容で、卵や肉など動物性タンパク質に入っている”メチオニン”というアミノ酸を摂り過ぎると寿命が短くなるというような内容でした。

あれ、タンパク質は摂ったほうがいいんじゃなかったっけ?

タンパク質は若い頃は摂り過ぎないほうが長生きで、65歳以上は摂ったほうが長生きなんだそうです。

食べ過ぎはやめようと思ってはいても、ついつい食べてしまうわけですが、それは「食欲増強ホルモン」や「嗜好性増強ホルモン」なんていうものがたくさんあったり、また現代は美味しいものがあまりにも多すぎて、食欲を抑えるのも大変です。

そして仮に制限できたとしても、成長期にタンパク質が不足すると低身長になったり、女性は不妊症になったりすることもあるようです。

そして高齢者は食欲自体が低下してタンパク質を摂らないといけない時期にも関わらず不足しているのが現状です。

つまり腹八分目が長生きだというのは、栄養が無い時は限られた栄養で生命を維持する必要があり、そのために身体は省エネモードになり、その結果長生きになる。

一方で栄養が豊富な時は有り余る栄養を贅沢に使うのでエネルギッシュなモードになるようです。これはその時は高いパフォーマンスが発揮できる代わりに長続きはしない、つまりたくさん食べると長生きはできない。

これって生き方にも関係していますよね、太く短く生きるのか、細く長く生きるのか、どうやら欲張りはできないようです。

 

『50』

インドでは人生を4つの期間に分けて考える四住期(しじゅうき)という考え方があるんだそうです。

①「学生期(がくしょうき)」8歳頃~25歳頃
 学び、心身のともに成長していく期間
②「家住期(かじゅうき)」25歳~50歳頃
 働き、家庭を持ち、子育てしたりする期間
③「林住期(りんじゅうき)」50歳~75歳頃
 迷いがなくなり、自由に、人間らしく生きる時期
④「遊行期(ゆぎょうき)」75歳~
 人生の終焉に向けて準備をする時期

え?50歳を過ぎたら迷いがなくなる?

迷ってばかりの私は家住期が続いているみたいです。

「50歳になると0になる」という言葉が気になって、観に行った映画が『みらいのうた』です。

THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんが喉頭がんになり、その後の復活までの道のりと、静岡でミュージシャンとしての第一歩を始めた頃に在籍していたバンドのヴォーカル、吉井さんをロックの道に引きずり込んだ先輩であるEROさんとの交流を撮ったドキュメンタリー作品です。

吉井さんが撮影期間中にがんになり、同世代の人が亡くなっていく命のあっけなさとか、登場人物のそれぞれの生き方の違いとか、ファンなので思い入れがありますし、死を意識する年代に入ってきたこともありますが、それを差し引いてもいい映画でした。

夢は?と聞かれて「ずいぶん汚れてしまったけど、ずっと静岡の少年のままでいたい」と答えていたのを聞いて、それが夢ってなんだかいいなぁと思いました。

 

『 バックインザサドル 』

昨年8月にヴォーカルのスティーヴン・タイラーの声帯損傷によってツアー活動からの引退を発表したアルマゲドンのエアロスミス

77歳、日本だと喜寿のお祝いをする年齢、インドなら「遊行期」なので仕方ないかとは思ってはいましたが、そのエアロスミスがなんと13年ぶりにアルバムを出しました。

孫くらいの年齢の28歳の英国のアーティスト、ヤングブラッドが一緒に曲を作りたいと持ち掛けて、孫とおじいちゃんでつくったようなアルバムです。

タイトルが『One More Time』、そして最後の曲がエアロスミスの名曲「Back In the Saddle」が入っています。

怪我をしたカウボーイが、回復してまた馬に乗ることが出来た時に「バックインザサドル」と使われたのが始まりだと言われています。体調が良くなるとか、元に戻るとかそういう意味なんだそうです。

俺たちは復活するぞと、また歌い始めた77歳がかっこよすぎる。