『 Back In the Saddle 』

頭を触ったら地肌だった、真ん中くらい、ちょうどカッパの皿くらい、あるはずはの髪の毛が無くなっている。

ショックを受けながら「とうとうハゲてしまったわ」と家族に言うと、冷静に「まあ歳とるとそうなるんじゃない」と言われ、買ってはいたけど袋も開けずにそのままにしていたAGAの薬を乱暴に破いて飲み始める。さすがにもう遅いだろうと思いながら、でもあきらめたらゲームセットだと思いながら、、

そんなときに目が覚めました、ハッとして頭を触りました、カッパではなくほっとしました。

とはいえ、白髪も増え、髪の毛も少なくなり、小さい字も見辛くなり、くっついたビニール袋がなかなか開けられなくなったり、50にもなると多かれ少なかれそうなるんだと思います。

とはいえ…切ない

 

 『 太く短く、細く長く 』

「不老不死」への憧れは人類の永遠のテーマの一つです。

精力絶倫の王として知られるギルガメシュから名前をとった「ギルガメッシュないと」という番組が昔ありましたが、そのギルガメシュが登場する『ギルガメシュ叙事詩』という紀元前の文学作品では、主人公が「若返りの草」を求めて旅をします。

秦の始皇帝は不老不死の薬を求めて最終的には水銀などを含んだ「仙薬」を服用し続け49歳で病死。

中世ヨーロッパでは、ハリーポッターでも出てくる「賢者の石」が鉄や銅なんかを金に変える力があると、また不老不死を叶える万能薬でもあると信じられていました。

19世紀に入ると不老長寿はファンタジーから「統計」へと変わります。

「 ゴムパーツ・メーカムの法則 」は生命保険数理や人口統計学で用いられる法則で、成人以降に年齢が上がるにつれて死亡率も上昇していくことを示す数式です。人間は30歳以降8年毎に死亡率が2倍になるなんていうやつで、これにより老化が生物学的な法則に従うことが認識されました。

また「 摩耗理論 」では “体は機械と同じで、使い続けると摩耗する” というシンプルな考え方で、使った分だけ悪くなるという考え方が出てきたりします。

 

20世紀以降から長寿研究がさらに進みます。 

1930年代には、ラットに与えるカロリーを制限すると寿命が延びることが初めて科学的に示されます、「腹八分目」研究の始まりです。

1960年代にはレナード・ヘイフリックによって初めて発見されたヘイフリック限界では、細胞の分裂回数には限界があることが発見され、不老不死は生物学的に不可能であるということがわかりました。

現在も様々な長生きの研究は続いていますが、理化学研究所の小幡史明さんの著書『「腹八分目」の生物学』によると、生物の老化要因は12に分類されるということが書かれていました。

1.ゲノムの不安定化

2.テロメアの短縮

3.エピジェネティックな変化

4.タンパク質の恒常性の破綻

5.オートファジー不全

6.栄養感知の制御異常

7.ミトコンドリアの機能不全

8.細胞の老化

9.幹細胞の消耗

10.細胞間コミュニケーションの変化

11.慢性炎症

12.微生物叢の破綻

これらはヨーロッパの著名な老化研究者によって提唱された「老化のホールマーク(Hallmarks of Aging)」という概念です。

生物が加齢とともに共通して起こる12の変化で、これらが長生きの研究で注目されています。老化のメカニズムは複雑です。

またセンテナリアンと言われる100歳以上の長寿の人の研究もおこなわれていますが、なぜ老化するのか?なぜ長生きなのか?調べようにもなかなか分かりにくいようです。

長寿の研究を人間で大規模実験を行うことが非常に難しいからです。

多種多様な人間が同じ生活リズム、同じ食事、同じ環境、それを長期間、というとなかなか現実的ではないですよね、そんなこんなで動物実験が行われるわけです。

そこで分かってきたことが、マウスやショウジョウバエ、線虫に共通していることがある

”タンパク質を摂り過ぎると早死にする” ということでした。

ほんとはもっと複雑なことのようですが、まぁ、ザックリと言ってしまうとそんな内容で、卵や肉など動物性タンパク質に入っている”メチオニン”というアミノ酸を摂り過ぎると寿命が短くなるというような内容でした。

あれ、タンパク質は摂ったほうがいいんじゃなかったっけ?

タンパク質は若い頃は摂り過ぎないほうが長生きで、65歳以上は摂ったほうが長生きなんだそうです。

食べ過ぎはやめようと思ってはいても、ついつい食べてしまうわけですが、それは「食欲増強ホルモン」や「嗜好性増強ホルモン」なんていうものがたくさんあったり、また現代は美味しいものがあまりにも多すぎて、食欲を抑えるのも大変です。

そして仮に制限できたとしても、成長期にタンパク質が不足すると低身長になったり、女性は不妊症になったりすることもあるようです。

そして高齢者は食欲自体が低下してタンパク質を摂らないといけない時期にも関わらず不足しているのが現状です。

つまり腹八分目が長生きだというのは、栄養が無い時は限られた栄養で生命を維持する必要があり、そのために身体は省エネモードになり、その結果長生きになる。

一方で栄養が豊富な時は有り余る栄養を贅沢に使うのでエネルギッシュなモードになるようです。これはその時は高いパフォーマンスが発揮できる代わりに長続きはしない、つまりたくさん食べると長生きはできない。

これって生き方にも関係していますよね、太く短く生きるのか、細く長く生きるのか、どうやら欲張りはできないようです。

 

『50』

インドでは人生を4つの期間に分けて考える四住期(しじゅうき)という考え方があるんだそうです。

①「学生期(がくしょうき)」8歳頃~25歳頃
 学び、心身のともに成長していく期間
②「家住期(かじゅうき)」25歳~50歳頃
 働き、家庭を持ち、子育てしたりする期間
③「林住期(りんじゅうき)」50歳~75歳頃
 迷いがなくなり、自由に、人間らしく生きる時期
④「遊行期(ゆぎょうき)」75歳~
 人生の終焉に向けて準備をする時期

え?50歳を過ぎたら迷いがなくなる?

迷ってばかりの私は家住期が続いているみたいです。

「50歳になると0になる」という言葉が気になって、観に行った映画が『みらいのうた』です。

THE YELLOW MONKEYの吉井和哉さんが喉頭がんになり、その後の復活までの道のりと、静岡でミュージシャンとしての第一歩を始めた頃に在籍していたバンドのヴォーカル、吉井さんをロックの道に引きずり込んだ先輩であるEROさんとの交流を撮ったドキュメンタリー作品です。

吉井さんが撮影期間中にがんになり、同世代の人が亡くなっていく命のあっけなさとか、登場人物のそれぞれの生き方の違いとか、ファンなので思い入れがありますし、死を意識する年代に入ってきたこともありますが、それを差し引いてもいい映画でした。

夢は?と聞かれて「ずいぶん汚れてしまったけど、ずっと静岡の少年のままでいたい」と答えていたのを聞いて、それが夢ってなんだかいいなぁと思いました。

 

『 バックインザサドル 』

昨年8月にヴォーカルのスティーヴン・タイラーの声帯損傷によってツアー活動からの引退を発表したアルマゲドンのエアロスミス

77歳、日本だと喜寿のお祝いをする年齢、インドなら「遊行期」なので仕方ないかとは思ってはいましたが、そのエアロスミスがなんと13年ぶりにアルバムを出しました。

孫くらいの年齢の28歳の英国のアーティスト、ヤングブラッドが一緒に曲を作りたいと持ち掛けて、孫とおじいちゃんでつくったようなアルバムです。

タイトルが『One More Time』、そして最後の曲がエアロスミスの名曲「Back In the Saddle」が入っています。

怪我をしたカウボーイが、回復してまた馬に乗ることが出来た時に「バックインザサドル」と使われたのが始まりだと言われています。体調が良くなるとか、元に戻るとかそういう意味なんだそうです。

俺たちは復活するぞと、また歌い始めた77歳がかっこよすぎる。

 

 

 

 
 
 
 
 

『 型 』

バスを降りると80代くらいの男性が地べたに座っている

その男性の上半身を背もたれのように脚で支える70代くらいの女性がいる、聞こえてくる会話からはどうやら2人は家族や友人では無いようです。

「大丈夫ですか?」と声をかけると

「大丈夫で…」と言う男性の言葉を遮るように女性が

「歩けなくなっちゃったみたいなのよ、息子さんに連絡したみたいだけど仕事中だから来れないでしょ、だから息子さんが警察に電話したみたいなんだけどね、警察がいつまで待っても来ないのよ、目の前にある薬局に行って涼ませてもらったらとも言ったんだけどね、警察の人が来たら申し訳ないからここにいるって言うんだよね」

と見ず知らずの私に詳しく伝えてくれました。

「そうなんですね、でもずっとここにいると熱中症になっちゃいますから、手伝いますから一緒に移動しませんか?」と男性に言うと「いやいや、大丈夫ですから、迷惑かけちゃってすいませんね、歳をとるのは嫌だねぇ」と言う男性に対して70代の女性が

「誰でも歳はとるんだから、そんなこと気にしないでいいのよ、それより家は近いの?せっかく手伝ってくれるって言ってくれてるんだし」

とテレビの司会者のように仕切ってくれる、おそらくこの人も男性の背もたれになったまではいいが、ずっとこのままの状態でいるわけにもいかないんだろうし、と、そうこうしていると細いタイヤの自転車でスーツを来た30代くらいの男性が通り過ぎる。

こちらに気が付いたようで、自転車を止めて近づいてきました

「大丈夫ですか?」

私と倒れている男性が説明しようとするよりも早く司会者の女性がさっきより上手く、そして私が途中から参加したことまでも含めたアップデートされた現状を説明してくれている。

そこに4人目の登場

目の前の薬局の40代くらいの女性が心配そうな表情をしながら

「大丈夫ですか?」

と参加してきた。 

 

司会者の女性は長い間そういう仕事をしてきたみたいに流暢に事情を説明してくれました、もう地べたに座っている男性よりこの人が主役だなぁと見ていたら、薬局の女性が

「良かったら薬局で休んでください」

と言ってくれました、ただ倒れている男性は

「警察がくるかも知れないからここを動けない」

と言い、30代の男性は持っていた水を渡して

「飲んでください」

と言ったのですが、

「申し訳ないから大丈夫です」

と男性は受け取らない、薬局の女性は薬局から保冷剤をもってきて男性に渡すが

「いいです、いいです」

とこれも使わない、50代目前の私も何かしないとと

「車出しますよ、家近所ですから」

といったものの男性は予想通り断ります、他人に迷惑をかけたくないという男性の気持ちもわからなくはないのですが、一連のやり取りを見ていた司会者の女性は背もたれにしている脚で男性を揺らしながら

「せっかくなんだから」

と言っても男性は申し訳ないと言って何も受け入れようとしません。 

 

座り込んだ男性を取り巻く4人、これは一人だけ抜けるわけにもいかないし、どうしようかとそんな状況が続いていると警察の人が来てくれました

「〇〇さんですか?やっと見つけました」救世主の登場にみんなほっとしました。

高齢者支援なんて堅苦しい言葉より、こんなことのほうが大切なことなんだろうなぁ、と感じた時間でした。

 

映画『国宝』を観ました。

とんでもなくおもしろかった『トワイライト・ウォーリアーズ』とはジャンルが違いすぎますが、共に素晴らしい作品でした。

吉田修一さんの原作である小説『国宝』は吉田さん自身が3年間、舞台の補助役である黒衣(くろご)の衣装をまとい歌舞伎の世界に身を置いて書かれただけあってリアルで、『悪人』などを撮った李 相日監督、『サマーウォーズ』などを手掛けた奥寺佐渡子さんが脚本を担当し、撮影も日本人ではなくパルム・ドール受賞作品などを手がけたフランスのソフィアン・エル・ファニさんが撮影を担当しているようで、美しい映像とよくできたストーリーで唸りました。

歌舞伎は正直よくわからないですが、個人的にはえらい昔に見た中村勘三郎さんのインタビューが印象的でした。

十八代目中村勘三郎さんは、古典歌舞伎を大切にしながらも、現代劇や野外公演、ニューヨークでの舞台など、従来の歌舞伎にとらわれない挑戦を、57歳でお亡くなりになるまで次々と続けてきた方です。

新しい挑戦は批判されることも多かったみたいですが、そんな勘三郎さんのインタビューで語っていたことが「型破り」についてでした。

型があるから「型破り」ができるんです、型を知らずに好き勝手に自由に振る舞うのは「型破り」じゃなく「型無し」って言うんです。

歌舞伎では演技や所作に「型(かた)」と呼ばれる伝統的な決まりや技法があり、これは何世代にもわたって磨かれてきた、芸の「基本」や「土台」になっている。「型破り」とは、その型をしっかりと身につけた上で、あえてそれを崩したり、超えたりすることを表していることばなんだそうです。

 

若い人は知らない1993年、ドーハの悲劇
ラモスやカズがいたサッカー日本代表は、あと一歩のところでワールドカップ初出場を逃しました。

今思うと、その当時の日本はサッカーの「型」がなかったんじゃないか、野球にはあるけどサッカーにはまだなかったんだと思います。
技術や戦術やフォーメーションではなく、習慣とか文化とか長い月日をかけて受け継がれてきたもの、染みついてきたもの、「型」とはそんなものが集約されたものなのかもしれません

あの時の悔しさが日本の「型」を生み出す原動力となったのかもしれません、今の日本サッカーには「型」があって、「型破り」の
段階まで来ているのかもしれません
歌舞伎の世界でも、型無しは未熟、型破りは芸の極みというそうです。

 

総務省がまとめた15日現在の人口推計では、65歳以上の高齢者は3619万人と、去年と比べ5万人減りましたが、総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は29.4%と過去最高になり、働く高齢者の数も930万人と過去最多を更新しました。

勘三郎さんが批判を受けながらも「型破り」を大切にしたのは、新しい挑戦を続けることが歌舞伎の存続に必要だと感じていたからだったようです。 

敬老の日を迎えた高齢化先進国の日本では、長生きの時代に必要な「型」はすでにあるのかもしれません、ただこれからはそれを上回る「型破り」な挑戦が必要なのかもしれません。

 

『 ピーク 』

暑い夏にアリは働いて、キリギリスはバイオリンを弾いて遊んでいた、冬になってアリは生き延びてキリギリスは飢え死にした。
 
遊んでばかりだとダメなんだという話ですが、以前読んだ本には「アリは生き延びたが、いつ遊ぶんだ?」と書いてありました。
 
 
なるほど、そう言われてみたら確かにそうです。
ただアリだって時々遊んでいただろうし、キリギリスだって一日中バイオリン弾いていたわけじゃないだろうし、、あと細かいことばっかり言うと嫌われますが、そもそもキリギリスは寿命が短くて冬は越せないみたいですから、好きなことやらせてあげてやればいいのにと思ったりします。
とにかく、6月なのに暑いです。
 
 
久しぶりにちゃんとちゃんとのメンバーの清水絵理さんからメールがありました

「老年学研究科をつくった柴田博先生という方のインタビューが聞けますから、良かったら聞いてみてください」

 
 

 清水さんは介護の仕事や、マクロビオティック、老年学を学ばれたり多才な方で、ちゃんとちゃんとの学校の核になるような考え方を教えていただいてきた特別な存在です。

電車に乗りながら聴き始めるとメモしたいことばっかりで、何回も止めてメモしたりまた聴いたりしてるうちに乗り過ごし、乗り過ごした駅のホームのベンチでもメモをとるくらい面白かったです。

 

1960年代までは歳を取ることは悪いことだと考えられてきたようです。

それは体力や記憶力が落ちたり、今まで出来ていたことが出来なくなっていくからで、つまり歳を重ねることは良いことはなく悪いことしかないと考えられてきたようです。

 
 

ただ1970年代以降、その考え方は少しづつ変化してきます、歳をとればとるだけ良くなっていく能力があることもわかってきたからです。

例えば目の前で起きたことを瞬時に判断して問題を解決する能力を『流動性知能』と呼び、これは若い頃のほうが高いようですが、過去に経験で得た知識をもとに問題解決する能力を『結晶性知能』と呼び、これは年齢と共に高くなるようです。

徐々に落ちていくというのは思い込みで、歳をとることは悪いことばかりじゃない、なんだか明るい気持ちになる内容でした。

 

そして印象的だったのがライフイベントの話です。

人との出会いが増えたり、出来ることが増えたり、明るいライフイベントが多い前半に比べると、後半は人との別れや、出来ていたことが出来なくなっていくことが増えたりと暗いライフイベントが増えます。

 

 

これが年齢とともに身体だけじゃなく精神的にも元気が失われる理由だと思われていたようです。

ただ現在では、歳を重ねても明るいライフイベントを増やしていけば、いくらでも精神的にも健康になれることも分かってきているようです。

確かに健康寿命が延びても楽しみがないとつまらない、これからはもっと歳をとるのが楽しみになるようなイベントが増えたらいいですね。

 

山の頂上や、何かの最高値、最盛期なんかをピークといいますが、ふと思ったことがあります。人生のピークはいつなんだろう?
 

例えば記憶力は18歳頃がピーク、体力は20歳前後、好奇心は3~6歳、モテ期は27.8歳、収入が高いのは50代、集中力は43歳前後、語彙力は67歳前後、、、とCopilot先生が言っていました。

もちろん人によってピークは違うんでしょうが、100歳の年表を書いてみるとピークの山は前半だけに固まっておらず、後半にもありました。

そして幸福を感じるピークは90歳以降なんだそうです。

それはエイジングパラドックス(Aging Paradox)とも言われていて加齢に伴ってネガティブな状況が増えるにもかかわらず、高齢者の幸福感は低くないようです。

70代~80代はそこまで高くない幸福感が、なぜか90代以降は高くなってくる。

それは物質的で合理的な世界観から解放されて、宇宙的、超越的、非合理的な世界観に変わっていくことが関係していて、それを”老年的超越”と呼ぶんだそうです。

確かにそういう達観しているようなお年寄りは時々お会いしますし、そういう方は90代以上だったような気もしないではないです。

そういう方は自然と周りにいる人の気持ちを和ませていたり、優しい空気をつくっていたりします。

 

教科書に載っていた”スイミー”を書いたレオ・レオニの作品に『フレデリック』という絵本があります。

小さなネズミたちが冬に備えて食べ物を集めている、フレデリックだけは他のネズミと違ってじっとしています。

寒くて暗い冬のために光をあつめ、色をあつめ、言葉をあつめているのだと言う。

寒い冬が来て食料が底をつき暗い洞穴の中でほかのネズミを癒したのはフレデリックの話でした。大好きな話です。

 

何年か前にちゃんとちゃんとの学校のメンバーで食事をしているときでした「健康寿命を延ばそう」、「何歳になっても社会に出て活躍するようなお年寄りが増えたらいい」とみんなで話をしていたら

「長生きするだけで素晴らしいじゃないですか」

と清水さんに言われたことが忘れられません。

長生きするだけでも価値がある、その価値は分かりにくくて、数字にもならなくて人に伝えにくいことだと思います。

だからといって無いわけじゃないし、誰もが知っていることなのかもしれません。

長生きするのはいいことばかりではありませんが、若い頃のようにもっと楽しいライフイベントが待っていたらいいのにと思います、何かないかなぁ、来月聞いてみよう。