『 FINAL 』

サッカーを見過ぎて、ほとんど睡眠をとらずに体調を崩しました。講演で早口で話をすると動悸があり少し苦しくなるので、出張の合間に病院に行って診てもらいました。

病院で症状を説明すると「人前で話すると誰でもドキドキしますよ」と同世代くらいのお医者さんから笑顔で言われました。

「いや、毎日人前でしゃべってるので、、」と言うと「じゃあ念のため心電図とレントゲンとりましょうか?」とまた楽しそうな顔で言われました。それからしばらくして診察室で心電図の結果を見せてもらいながら言われました。「これは、全く悪くないですね」

ほっとするのとなんだか恥ずかしいのと複雑でしたが、とりあえずはこれでひと安心だと森保監督のように深くお辞儀をして出張に出かけました。

大丈夫と言われたのですが、しばらくは安静にしようとしていると、取引先の女性スタッフに言われました。

「病院で大丈夫って言われたんだから平気ですよ、ほんとに男の人ってビビりですね」そう言われるとそんな気がしてきました。前から知っていましたが、やはり男なんかより女の人は強くて偉大です。

 

正直オフサイドディレイにはイライラした日々でしたが、もう明日から寝不足の生活から解放されると思うと少し寂しい気もします。

地位も名誉も手に入れたスーパースターたちが、緊張しながら死にものぐるいで戦ってきたワールドカップもいよいよ決勝になりました。

選手の他に監督やコーチ、試合には出られない選手、選手の食事や身の回りのサポートをするスタッフ、現地に駆けつけたサポーターやテレビにかじりついているファン、支援するスポンサー、そんな人達も選手と一緒になり、チームとして国を背負って戦っています。

あのチームワークが単なるフットボールの試合に深みと重みをあたえています。

そんなワールドカップもいよいよ大詰めです。アルゼンチンとフランスとの決勝では脇を固めるフリアンやグリーズマンも気になりますが、やはり今回はメッシが神になるのか?エムバペが新時代を開くのか?ここが最大の見どころでしょう。

フランスが戦力的には上だと思いますが、今回だけはメッシに優勝してほしいと思います。

 

『 生産的フラストレーション 』

青森県の八戸に来ています。そういえば昨日までいた岩手は大雪でしたが、八戸はそんなに雪が降らないようですっきりと晴れていました。

ホテルの近くにあるスーパーでお土産の南部せんべいを買いに行くついでに、探している本がないかと八戸ブックセンターに立ち寄りました。

そこまで大きくない店内には普通の本屋さんでは見かけないような面白そうな本が不規則に並んでいて、気がつけば長い時間ウロウロして、結局目当ての本とは全く違う本を買っていました。

なんとなく買った「子どもは4万回質問する」という本には、好奇心が低下しない人のほうが認知機能低下が起こりにくいことや、教育心理学者スーザン・エンゲルによると好奇心は4歳から衰えていることなどが書かれていました。そうだなぁ、そういえば質問してないなぁと考えさせられる内容でした。 

いまは分からないことがあればスマホ1つで事足ります。

インターネットの普及は質問の答えを最短距離で、しかも答えだけを教えてくれます。一方でそれは算数の問題集の答えだけを見て写しているようなものかもしれません。

本屋で探していた本だってAmazonだとお目当ての本だけが自宅に届きますが、探しにくい本屋で本を探すことや、その結果として買うはずもなかった新しい本との出会は本屋さんでしか出来なかった体験でした。

偶然買った本によれば、私の八戸での本屋さんの出来事は、当初買おうとしていた本まで最短距離で行けなかった(見つけることも出来なかったですが)ということが「生産的フラストレーション」であり、ネット社会ではその生産的フラストレーションの機会を奪われているということでした。

目的地も大事ですが、そこまで自分の足で歩いていく道の中にも同じくらい大切なものがあるんだと思います。それは面倒でストレスもたまる代わりに、目的以上に大切なものに出会える可能性があります。

 

友人と3人で始めたこのシニア支援のプロジェクトも、目的のシニア支援はもちろんのこと、そこでしかなかった出会いがあり、そこでしか体験出来なかったことがありました。

うまくいくかどうかよりも仕事の合間に出来ることをやろうと取り組んだときの経験のほうに価値があるような気がしています。

 

年齢を重ねるということは、数字だけの変化ではなく肉体的にも精神的にも変化はあります。

その変化は人によってまちまちで、何歳かで仕切りがあるような分かりやすい変化ではなく、なだらかな陸続きで気がつかないうちに変化していくものだと思います。

時に変化は受け入れたくないことでもありますし、フラストレーションが溜まることでもあります。

変化を恐れてしまうと年を重ねていくことは失うことが多く引き算のようですが、実際にはそれより得るもののほうが多いのではないでしょうか、けれどもそれは誰にも分かるような分かりやすさがありません。

そんな一見分かりにくい価値を、誰もが分かる価値にしていくことが遠回りのようでじつは大切なんじゃないかと思っています。

当たり前ですがみんな平等に歳をとります、心臓が動いてくれている間にやれることをやろう、好奇心を捨てずにやれることをやろうと思っています。

といっている間にあっという間にFINALになってしまいました、あー、すいません。

頑張れ、ちゃんとちゃんと、頑張れ、アルゼンチン。

 

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