『 阿弥陀籤 』

「なんて書けばいいかなぁ?」

大きなクッションに寝転がりながらスマホを片手に聞いてくる中1の子供。

なんでも人種差別に関する作文を書いていて、最後のまとめのところで困っているようでした。

「思ったこと書けばいいんじゃない?」と言うと「いやいや、そういうのはいいからさぁ、具体的なやつ」と言われて「とにかく自分のまわりから出来ることをやっていくしかない、とか書けばいいんじゃない?」と答えたら

「そんな小学生みたいな文章書けない」

と寝たままの後ろ姿で言われました。

あとで出来上がりをこっそりと見ると

「人種差別はなくならない、1人の努力には限界がある。でもそれぞれが人種差別を学んで考えれば減らすことはできると思う。」

うーん、中学生の匂いがする。

そしてこちらは小学生みたいな文章を懲りずにまた、ゆる〜く書かせていただきたいと思っています。

 

『 阿弥陀籤 』

室町時代からある阿弥陀籤(あみだくじ)は、今のようなあみだくじではなかったんだそうです。

もとは博打のひとつだったようですが、真ん中から外に向かってクモの巣のように放射線状に人数分の線を書いていく、その形が阿弥陀如来の後光に似ていたことから”あみだくじ”と呼ばれるようになったと言われています。

土に木の枝であみだくじを書いたことは誰にでもあるんじゃなかと思いますが、このあみだくじは日本にしかなく、実際には平等ではないんだそうです。

一見平等のようなカタチをしながら、そこに平等は無く、でも目指しているような気になる、そんな阿弥陀籤がなんだか嫌いになれません。

 

『 誤算 』

ダラダラと過ごしているうちにいつの間にやらもう7月です。サッカー好きとしてはあまりいい選手が出ないオリンピックより、ヨーロッパ選手権やコパアメリカのほうが断然興味がありますが、いよいよ夢と希望の?オリンピックとパラリンピックが開幕します。

バブル時代の遺産のようなオリンピックはなんだか時代に合わなくなってきている気がします。

スポーツは大好きなので違うカタチのもっと時代に合ったものが、今回をきっかけにできるのかもしれないなぁと期待しています。

オリンピックだけではなく昨年からたくさんの誤算があふれています。

コロナがより時代の変化みたいなものを加速させているんじゃないかと思います。うそがつけない時代、ものを大切にする時代、邪魔だと思って捨ててきたものを拾っている時代、誰かがⅬサイズのピザを独り占めしてしまうようなことは長くは続けられないんだと思います。

 

下級国民は貧乏暇なしということであっちこっちにいく日々ですが、先日静岡に行く機会があり、偶然にもこの仕事を始めた当初からお世話になっている、またちゃんとちゃんとの立ち上げにも協力いただいた案納さんにお会いしました。

そして、かなり久しぶりに居酒屋に行きました。

健康居酒屋という名前が付いさたこのお店は、砂糖不使用、グルテンフリー、無添加、自家農園でとれた有機野菜など身体に良いこだわりの料理と、心に優しく身体には優しくない美味しい日本酒が出てくる、飴と鞭のような知る人ぞ知る名店なんだそうです。

トライアスロンをやっている感じが良くて格好いい店長さんが出してくれる料理はどれもが美味しく、お酒は当然のごとく美味しく、久しぶりに積もる話もあり楽しい時間を過ごさせてもらいました。

この仕事を始めたばかりのぽっと出の私に、たくさんのチャンスを与えてくれた案納さんは恩人であり、また仕事に対する考え方も尊敬できる方です。

シニア層の顧客に正しい栄養学や食の大切さをしっかり伝えていく、そして健康寿命を伸ばしていく、そういう活動を静岡で続けてこられている方です。

食事のアドバイスを通じて身体の不調が改善されたり、健康意識が上がることによってより体にいいものを”本物”を顧客が自然に選ぶようになる。まず商品の販売ありきではないこのやり方は理想でもありますが、今までは「綺麗ごとでは食っていけない」なんて言われていました。

まず売らなきゃならない、顧客や社会貢献より自社の利益を追求する、それが当たり前だった時代がまだあるのが実情ですが、もうこれは通用しない時代になってきたんだなぁ、と痛感しています。

 

案納さんにコロナの影響はありましたか?と聞いたら「コロナだから売り物のサプリメントをあげちゃいました、もし売ったら買わない人もいるから」と言われていました。さすがです、加速してました。

 

『 祭のあと 』

オリンピックが祭りになるかどうかはさておき、祭りの後には何が残るんだろうと考えるとあまりポジティブにはなれません。

経済的な大きな損失だったり、もちろんコロナがまた再拡大する可能性もあるし、それ以上にみんながオリンピックを素直に楽しめるんだろうかという疑問もあります。

7月現在では65歳以上の方々のワクチン接種が進み、少しの安心感と、またその副反応が話題になっていますが、それ以上にコロナの自粛によって高齢者はあまり外出しなくなったり、人と会わなくなったり、その副反応のほうが心配だったりします。

年金制度改革関連法が5月末に成立しました。

年金の受取は原則65歳からで、今は60~70歳から選ぶことができますが、来年の4月からは60~75歳の好きな時期から受け取り始めることができるようになるようです。

受け取り開始を遅らせる「繰り下げ受給」をすると、年金額は1カ月遅らせるごとに月0.7%ずつ増えるんだそうで、受け取り始めるのが70歳スタートだと65歳スタートに比べて毎月の年金額は42%増え、75歳から受け取りスタートすると84%増えるんだそうです。

長生きすればいいのは分かりますが、それまでは働かなきゃなりませんし、長生きできるかどうかは誰もわかりません。

なんて嫌な計算をしなきゃならないんだろう。

 

今にして思えばこのシニア支援プロジェクトを始めたのはなんとなく感じる違和感と、このままでいいわけないという危機感だったのかもしれません。

今さえよければいい、自分さえよければいい、この”さえ”はもう通用しないし、なにより長続きしない。

シニア支援プロジェクトはそのうえで真逆のことにチャレンジしようとしています。

終わりそうで終わらないシーズン3はいよいよ終わりが見えてきましたが、本当に素晴らしい方々のご協力で僕たちの考える今の時代にあったひとつのシニア支援のカタチができたような気がしています。また近々お知らせさせていただきますね。

 

20年ぐらい前に一緒に働いていた仲間が退社するときに、新たなチャレンジをするというので、カッコつけていい言葉を送りたいと考えたんですが、やっぱり思いつかず、持っていたスポーツバッグに書いていた言葉を送りました。

最近柄にもなく漠然と悩んでいました。そして、たまたまこの言葉を見かけて、20年ぶりのブーメランが刺さりました。

あみだくじみたいに、決して平等ではないのが世の中なんだと思いますし、おそらく問題はいつの時代もなくならないんだと思います、でも減らすこともできるんだとも思います。

そのためには考えて、挑戦して、失敗して、それを続けていくしかないのかもしれません。

 

…やっぱり小学生みたいだ。

 

 

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