『 きもち 』

人の気持ちはわからない。赤の他人や気心の知れた人も、家族だってわからない。

わかったつもりがわかっていないのが人の気持ちで、時々自分の気持ちさえもわからないくらいだから、まあ、わからないのは当然なのかもしれません。

今年から高校に入った長男と夜中の2時に缶チューハイとコーラを飲みながら話しました。深夜にイライラして大騒ぎしたり家出したり、最近そんなことが立て続けにあったからです。

自分より大きくなった子どもと思ったことをお互い話しました。小さな頃はなんでも話していたのが、いつからそんなに話をしなくなったのか?、何があったわけじゃないけれど自然にそんな感じに、そんな空気になっていました。

お互い話をしてみると大きくなった子どももやっぱりまだ中身は子どもで、いつのまにか父親になった私もまだまだ親にはなれていなかったことがわかりました。

コロナの影響で大切な中学の最後と高校の最初がほぼ無くなった世代、新しい友達も親しい友達も誰もいない、そんな環境で過ごすことや自分の居場所が見つからなかったことは相当なストレスがあったようです。

とにかく素直に話しました、こういう場合はなんて言えばいいのかなんて全く気にせずに、分からないことは分からないと言い思ったままを話しました。

不安で当たり前だし、友達なんてできなくたっていい、生きていればだいたいのことはどうにだってなる。素直に話すと相手も正直に話してくれた気がします。

そういえば今までこういう時間が無かったなぁと、こういう時間もいいもんだなぁと気づきました。そんなこんなでえらい時間になってしまい、わからない気持ちが少しでも分かることができた2人の深夜の飲み会が終わりました。

人の気持ちはわからない部分がほとんどだけど、話をすることは問題解決にはならなくても、ちょっとは色々なことをマシにしてくれます。

 

「よそゆき」

服装はほとんど興味がないですが、それなりの場所にいくときにはめんどくさいですが、それなりに気を使います。言葉も思っていたことを話していたはずが、いつからか”よそゆき”になってくることがあります。

こう言わなきゃならないとか、こう言えば何か言われるかも知れない、そんなことばっかり考えていると、いつの間にか言葉がよそゆきになります。

それはもはや自分の思っていることではなく、ただ批判を受けないように選んだ、つまらない言葉の寄せ集めで、どんなに綺麗な言葉でもなんだかピンときません。

「やりたいことは何?」よく大人に子どもが言われる言葉ですが、子どもの頃に聞かれていちばん嫌な質問でした。

「そんなのありません」と答えると「夢を持たなきゃだめだ」と言われ「〇〇がやりたいと」と言えば「今のままじゃダメだと」言われ、もう大人の子ども向けのマニュアルに書いてあるみたいな質問にウンザリでした。『やりたいことなんて常に変わるわ、ずっと一緒だと思うなよ!』と思ってました。

個性を大切にとか、夢を持てとか言われても困るタイプの子どもだったので、そんなぼんやりとした言葉より自分の言葉で話すことがまず大切だと思っていました。

そういうことを続けていって出会う人が友達になるかもしれないし、なんだか面白そうだったからです。

誰かがつくったよそゆきの言葉ばっかりを選んで失敗してもそれは誰かさんの失敗で、自分の言葉でたくさんの失敗をして、経験していく事のほうがよりガッカリするしとても意味がある気がしていました。

昔はもっとあった気がする失敗を許してくれるような環境と、本音を言っても否定されずに受け入れてもらえるような場所や時間、そういうものは、子どもだけじゃなく誰にも必要だと思いますし、あまりないような気もしています。

一枚の写真を使って自分の人生を語る、そして対話をする「100歳図書館」という企画が昨年ありましたが、今年はコロナの影響で進んでいない現状です。たこ焼き器みたいなオンラインではどこまで伝わるのかは分かりませんが、いま必要とされる企画だと改めて思っています。

1人ではなくチームとして、より良いシニア支援をするためには、私達のよそゆきじゃない言葉でつくる、もっとたくさんの失敗が必要だと思っています。

7月になりました、そろそろ始めていきたいと思います。

 

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