高齢者って嫌な言葉だ。
そう呼ばれて喜ぶ人なんていない。早くそうなりたいと思う人もいない。
嫌な事はやるべきじゃない、好きなことだけやればいいと言う人がいる。
でも歳をとるのは避けられない、時間は戻らない。
好きなことだけやるのは難しい。
生きていくことは、あきらめることの連続かもしれない。
宇宙飛行士をあきらめ、サッカー選手をあきらめ、なりたかった仕事をあきらめ、好きな人をあきらめ、自分の身の丈を知らされる。
あんなにとんがっていたはずが、転がる石みたいに気がつけば、みんなおんなじようになっていく。
いったい今までいくつ諦めてきたんだろう。
現実はそうはいかないことがそこいら中に、気がつけばあんなにあった夢の種はほとんど見当たらない。
そろそろ疑ってみるべきだ、今までの当たり前を、誰かが作った常識なんてだいたいニセモノだろう、本当は大した意味なんてないはずだ。
知らず知らずにそんなくだらないものに縛られ、知らず知らずにどうせそんなもんだろうと諦めて生きていくのが人生なら、歳をとることは辛いことなのかもしれない。
もっと生きていたかった人から見れば、長生きできなかった人から見れば、今日という1日は今の1分1秒という時間は何にも変えられない。
今まで母親として生きていた人がいる、今まで仕事に生きてきた人がいる、こうでなければならないという目に見えない柵、家族や仕事や立場、身体中に巻き付いた蜘蛛の糸から抜け出したとき、やっと自分になるのかもしれない。
長生きはもう一度生きることかもしれない。
新たな時代をつくるのは若い人だけなのか?
人類が経験したことの無い長生きな時代の最先端にいるのは、生まれ変わりもう一度生きていくことを決めた人たちに違いない。
高齢者支援プロジェクトという呼び方が好きじゃない。
だからちゃんとすることにしました。新たな時代の最前線にいる人たちの学校として