『 岡山でちゃんとちゃんと 』

 

「ちゃんとちゃんとはいいよね、雑多で」とある方に言っていただきました。私達にとって嬉しいお言葉でした。

よくわからない横文字なら、知ったかぶりをして後から必死に調べますが、”雑多”なら横文字が苦手な私でも分かります。

ちゃんとちゃんとは高齢者支援のプロジェクトですが、「高齢者」という言葉だけでは、ひとくくりにはできません。

高齢者といっても、60代と90代では30年も違いますから、親と子くらいの差があります。

親と子では好きな音楽も、ファッションも、遊びに行く場所も、食べ物の好みだって同じというわけにはいきませんから、「高齢者」という言葉もひとくくりには出来ない “雑多” なわけです。

 

『 とんがる場所 』

モノが売れないといわれている時代ですが、平均的な凡庸なものは駄目だと、売れるためには何かに特化した、他にはない、鋭くとんがったモノが必要だといわれています。

最近は、そういうものが注目されたり売れたりしているようです。それはなんとなく分かります、どうせならとことんこだわったものが欲しいし、使いたい、やはりそういうものには他にはない価値があると思います。

ただ、もっと大切なのは、とんがる場所じゃないかと思います。

 

『 岡山でちゃんとちゃんと 』

ちゃんとちゃんとの学校も、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらも “高齢者のジリツを支援する” という目的のために活動しています。

7月13日は初めて東京を飛び出して、岡山県の歴史ある倉敷市の美観地区にある倉敷物語館にて『ちゃんとちゃんとの学校』を開催しました。

倉敷市人権啓発活動事業費補助対象事業として、特定非営利活動法人『つくぼ片山家プロジェクト』の主催で行われた今回の『ちゃんとちゃんとの学校』は3連休の初日、しかも雨の降る中でしたが、わざわざ名古屋から駆けつけていただいた方、お祭りの花火が中止になって来れた方など、40名近い、幅広い年齢と立場の方々に参加いただき、始まりました。

 

『 授業 』

司会をつくぼ片山家プロジェクトの理事(事務局担当)をされている松岡邦彦さんにつとめていただき、前半は私から授業をさせていただきました。

もし1000歳まで生きることができたら、という話から2025年問題、認知症、介護、医療費、高齢ドライバー、そういう問題に対して、できることはないだろうか?と『ちゃんとちゃんとの学校』がつくられたきっかけと、そして “3つのジリツ” をテーマに取り組んできたことを紹介させていただきました。 

 

 

また現在取り組んでいる、私と幸田さんともう1人の立ち上げメンバーの三谷さんがプロジェクトリーダーをつとめる、”高齢者の低栄養” の対策になる食品開発をするフードプロジェクトを説明させていただきました。

 

他にも正しい歩き方を学ぶウォーキングイベント、そして自分にとって人生で最高の1枚の写真を発表し伝えていく100歳図書館プロジェクト、それから全国から地域包括ケアシステムの画期的な試みと注目されている、地域の分断をゆるくつなぎ直す千葉県多古町のタコ足ケアシステム」との取り組みなどを、まあ”雑多”な、でも『3つのジリツ』に根ざした取り組みを紹介させていただきました。

 

後半は主催の『つくぼ片山家プロジェクト』の地域包括ケアシステムの新たな形になるような取り組みを、つくぼ片山家プロジェクト代表である滝口美保さんと、理事の綾部小百合さんに、対談しながらご紹介させていただきました。

つくぼ片山家プロジェクトでは、倉敷市帯高に残る能楽堂もある古民家「つくぼ片山家」の保存と、その地域の方々の集まる場所となっている片山家で文化芸術の継承に関する事業や、様々なイベントを行っています。

とっても素敵な滝口美保さんの小さな頃の写真を見せていただき、当時の貴重なお話をお聞きしました。

そして昨年岡山を襲った豪雨、悲惨な洪水被害がありましたが、片山家では江戸時代末期に起こった当時の洪水被害を記した詳細な絵図が残っているようです。

それは当時の片山家の当主が作らせたもので、天災の恐ろしさを後世に伝え、悲劇を繰り返してはならないという意味があったようです。

昔から地域の方々にとって特別な、親しみのある古民家を使っての地域の人同士の交流や、人と地域がつながるまちづくりのモデルは、地域包括ケアシステムの新しいカタチかもしれません。

 

『 長生きの価値 』

そして幸田さんから、『ちゃんとちゃんとの学校』の目指していくものと、そして歴史ある倉敷の街並みに触れながら、歴史を重ねていくことの価値についての話がありました。

倉敷の美しい街と同じように、「人も年齢を重ねることは悪いことではなくて価値がある」

資本主義の社会では、生まれた時から常に誰かと比べられ、常に競争の世界を生きていかなければなりません。誰もがそのルールの中で、知らず知らずのうちにその価値観に縛られて生きているわけです。その価値観で高齢者の方を見てしまうと、マイナスな要素がどうしても目立ってしまいます。

 

でもその考え方そのものを、これからの時代は考えなおす時期にきているのではないでしょうか?

生産性を求められる合理的な社会ではマイナスなことも、他の見方をすれば魅力に、大きなプラスになることもあります。

それは海外からも観光客が後を絶たない歴史ある倉敷の街が証明している気がします。

生産性だけを追い求めてきて「ちょっと待てよ、本当はこんなことを求めてなかったんだ」と考える人がいる今の時代において、高齢者が年齢とともに出来なくなってしまうことがありますが、それ以上に長く生きてきた経験やその深みが、生産性だけを考える薄っぺらい数字では語ることが出来ない、何にも変えられない価値があるということなんだと思います。

倉敷の美観地区で聞くからなのか、参加者の方々の熱量が高かったからなのか、迷いながらもなんとかここまでたどり着いたという感覚もあったからなのか、幸田さんの話になぜかいつも以上に感動してしまいました。

 

そして最後には参加者の方々で “年齢を重ねていくことの価値” について話し合っていただきました。様々な意見がでてきて、なんだかとても可能性と勇気が出るような時間でした。

素晴らしい参加者の方々にあたたかく見守られながら、初めての岡山での『ちゃんとちゃんとの学校』は無事終了しました。

 

懇親会では同じ倉敷市美観地区にある、障害者就労継続支援事業所の利用者の方々が商品を作っていらっしゃる『虹色商店』で作っていただいたとっても美味しいスイーツと、お酒は無いですが、お酒が欲しくなるこれまた格別なおつまみをいただきながら、とても楽しく交流を深めることができました。

 

 

『 歴史 』

イベント終了後に、岡山が地元でもある幸田さんに倉敷市の美観地区を案内してもらいました。こどもの頃に来た以来の倉敷の美観地区は思っていたより広く、思っていたより見応えがありました。

先程紹介した「虹色商店」にも見学に行かせていただきました。障害者の自立支援に取り組む協同組合「レインボー・カフェ・プロジェクト」の発案で作られた古民家を改修して作られた虹色商店は、先月開店したばかりのお洒落なお店です。魅力的な雑貨も並んでいて、ついつい衝動買いをしてしまいました。 

 

小雨の中、街を歩きながら歴史があることの価値や、時間をかけることの意味を考えさせられました。エスカレーターも歩く歩道も、自動ドアもあまりなく、人力車が走る街並みは決して便利でもありませんが、なんだかいいなぁ、やっぱり好きだなぁと思いました。

簡単に説明出来ないからこそ、価値があるのかもしれません。

 

“長生きの価値” というものは、簡単には見つからないからこそ価値がある、でも無いわけではなくまだ見つけることができていない。

それは、とてもとんがっていて他には無いものかもしれない、その価値を多用性のある “雑多” なみんなで探していくことが、あっちに行ったりこっちに行ったり、遠回りしながら探していくことが『ちゃんとちゃんとの学校』のある本当の意味かもしれません。

 

 

今回このような機会をいただいた倉敷市人権政策部人権推進室の皆様、主催いただき、細やかな準備を含めてたくさんのご協力をいただいた特定非営利活動法人『つくぼ片山家プロジェクト』の皆様、そしてなにより雨の中わざわざ参加いただいた参加者の皆様、本当にありがとうございました。

より魅力的な『ちゃんとちゃんとの学校』を皆様とつくっていければと思っておりますので、ぜひこれからも “ゆるくまじめに” お付き合いいただけたら幸いです。

 

 

私達は様々なプロジェクトを、サポーターの方々の支援のもと活動しています。

2019年度から『ちゃんとちゃんとの学校』の記念すべき1期生のサポーター募集をスタートしております。

シニアのジリツ支援に関心がある方ならどなたでもご参加いただけますので、是非皆様のご参加をお待ちしております。

詳細はこちらをご覧ください

 

 

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