『 暗黙知 』

初めてのことに、なんて挨拶すればいいのか?、何をすればいいのか?、みんながよく分からないまま、ふわふわしながら新しい時代が始まりました。 

急に日々の暮らしが変わるわけじゃないですが、ワクワクしたり、心を新たにしたり、新しい時代を迎えた空気は、なんとなく感じる期待や希望みたいなものが、そこらじゅうにあるような、そんな令和の始まりでした。

 

『 言語化 』

自分ではわかっていることも、人に伝えていくには言葉が必要です。私はこれが苦手で、そんなこと言わなくても分かってくれないかな?なんて思っちゃったりしますが、やはり言葉は大切です。

「ありがとう」と思っていても言葉にしないと伝わりませんし、自分が分かっていても、相手も同じように理解しているとは限らないわけです。

 

『 言葉にする 』

“ドリブルデザイナー” 初めて聞いたときに、なんだそれは?と思いました。

岡部将和(おかべ・まさかず)さんはFリーグ(フットサルの全国リーグ)出身で、世界でたった1人のドリブルデザイナーです。

それはドリブルデザイナーなんていう職業はそもそも無く、初めて作ったのが岡部さんだからです。

岡部さんは1対1の場面で99%抜けるドリブルの理論をつくり、あのネイマールや世界中のサッカー選手達と勝負してその理論を証明し、現在は日本代表の選手まで指導することもある、名前通りのドリブルの専門家です。

遊びから始まるサッカーのドリブルは人によって違います、またとても感覚的です。

岡部さんはそれを細かく分析し、なぜ抜けるのか?、またどうしたら抜けるのかを、言葉で伝える、言語化したので、その理論をより多くの人に伝えることができるわけです。

影響されやすいので、公園で久しぶりに球蹴りをしたいと思っています。

 

『 SUSHI TELEPORTATION 』

朝のテレビで見ましたが、世界中のどこにいても、同じ味の寿司が食べれるという『SUSHI TELEPORTATION』(スシ・テレポーテーション)が紹介されていました。

昨年にアメリカのテキサス州のオースティンで開催された、テクノロジーイベント「SXSW 2018」で紹介されたスシ・テレポーテーションは、例えば東京のお寿司屋さんが作った寿司の、味や食感、色、栄養素、水分量などをデータ化して、それをフードプリンタで再現するというものです。

それは音楽や映画をダウンロードするみたいに、本場の寿司を世界中どこにいても、宇宙であっても、食べたいときに、同じ味の寿司がダウンロードできるようになるみたいですから、驚きです。

 

『 暗黙知 』

自分は気がついていなくても、身体が知っている知識のことを『暗黙知』(あんもくち)と呼ぶようです。

顔を見分けたり、真っ直ぐに歩くとか、車を運転するとか、料理人が絶妙な味を出したり、医者が病気を当てたり、、、

それは、その人にしか分からない経験からのもので、主観的で、言葉にしたり、データ化して人に伝えたりすることが難しい知識のことです。

高齢の方々は、この『暗黙知』の宝庫ではないかとよく思います。それは長年の経験と、身体に染み付いた実体験からの知識がずば抜けているからです。

言語化が難しい『暗黙知』は、客観的に分かりにくく、自分でその価値に気づいていない方も多い気がしますが、人生100年時代の『暗黙知』は、やはり、すごいです。

アナログな『暗黙知』と、それに対してデジタル化できるような、客観的な知識を『形式知』というようです。

先程紹介したようなサッカーのドリブルデザイナーや、スシ・テレポーテーションなんかは、本来はアナログなものをデータ化しているというか、『暗黙知』を『形式知』に少しでも近づけようとしている気がします。

 

『 言葉にならない 』

「女性は言葉にしてほしくて、男性は言葉にしなくても分かってほしい」とよく言いますが、男女は脳の違いがあって、その溝はなかなか埋まらないわけです。

永遠に埋まらない溝を埋めるより、そういうもんなんだと、お互いを理解することが大切なようです。

デジタル化が加速する中で、データ化できるものは今まで以上に増えていくはずです。 

ただし、全てはそうはならないのではないでしょうか、データ化できないものが必ずあって、そしてそのデジタルにならない”暗黙知”は、きっとこれから先、今まで以上に価値があるはずです。

 

『 暗黙知の価値 』

言語にできること、言葉では伝えられないこと、それは全く違うことではありますが、区別せずに組み合わせて使えば、長所が短所を補い、強みに変わります。

人はロボットじゃないですから、やはり両方とも必要です。技術が進化して効率的にあらゆるものがデータ化されてしまったら、なんて味気がない未来だと思ってしまいます。

『高齢者のジリツ支援』という難しいテーマも、単純に表面的な数字だけで物事を進めてしまうと、とてもじゃないですが豊かな超高齢社会にはなりません。

シニアの方々のデータ化できないような『暗黙知』も、その素晴らしさや価値を『ちゃんとちゃんとの学校』から、もっともっと広めていきたいと思っています。

そしてそれを伝えるのは、高齢者の側にいる方から、現場からしか伝えていけない気がします。

新たな時代はテクノロジーの進化と同様に、シニアならではの魅力を、データ化できない魅力を、言葉にならないものを、より多くの人に伝えることができるようになることが、そういう進化が必要です。

一見相反する2つが合わさって、はじめて豊かな超高齢社会になるはずです。

 

『シニアのジリツを楽しみに』

どれだけ人が偉くなろうが、わからないことのほうが多い世界です。

「生きる理由は?」「長生きする理由は?」、もしかしたらそんなものは無いのかもしれません。

ただその理由をつくることはできるはずです。この時代にたまたま生きている意味も、多分偶然ですが、そんなの無くても作ればいいことです。

 

「高齢者のジリツ」を応援するこの『ちゃんとちゃんとの学校』は、どのような形(忙しくて参加できない方や、遠方の方も含めて)であっても1人でも多くの人に、色々な形で参加してもらえたら、と常に思っています。

1ヵ月のうち、ほんの数時間でも超高齢社会に対して出来ることをする、それは簡単なことではありません。

そのためには、楽しさが必要だと思います。 楽しいと思えることは長続きする秘訣です。

子供がワクワクするような、大人が子供に戻れるような、そんな楽しさも併せ持った『ちゃんとちゃんとの学校』に出来たら、”楽しくて役に立つ”なんて最高です。

それを同じ気持ちを持つ方々と作れたら、最高の最高だと思います。

シニアのジリツを応援するプロジェクト、『ちゃんとちゃんとの学校』は参加いただける方々でつくっていきます。令和の時代も引き続き、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

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