『 GAP 』

テキパキと仕事が出来てクール、でも本当は少しオタクで変わり者という人が好きですが、人は見た目やキャラクターと違う一面が垣間見れると、より魅力的に見えることがあります。

プロレスラーが編み物が趣味だったり、偉い先生が漫画好きだったり、そのほうが、奥行きを感じたり、人間っぽくて親近感がわいたりするのかもしれません。

 

『 GAP 』

世界的なアパレルブランド『GAP』の名前の由来は、創業者の夫婦が友人たちと“ジェネレーション・ギャップ”について討論していたときに思いついた名前なんだそうです。 

世代間のギャップをつなぎ合わせる存在として、世界的なブランドになっています。

 

ノーマル、ハイポジ、メタル、クローム、というと私の世代は “カセットテープ” だと分かりますが、若い人はカセットテープなんて知りません。今は当然のようにスマホに音楽が入っていますが、昔は音楽を聴くならレコードかカセットテープの2択でした。

フリスビーより大きなレコードを傷つけないように丁寧に取り出して、33か45に回転数を合わせて針をおろす、音飛びしないように暴れずに聴く、そういえばそんなことをしていました。ただレコードは持ち運びができないの車で聴けないのと録音が出来ないので、手軽に聴くには専らカセットテープでした。

空のカセットテープにテレビの歌番組の音楽を録音して聴くのですが、ただでさえ性能が悪いカセットデッキをテレビにくっつけて録音するので、音が悪いのは当たり前で、家族の雑談や食器洗いの音とかが入ってしまって、その出来上がりに落ち込んでいたのを覚えています。

その後、CDが出たときは衝撃的でした、神戸の三宮で最初に買ったCDラジカセでマイケルジャクソンのCDを聴いたときは感動しました。なんていい音なんだと、もちろん食器洗いの音なんて入ってないわけです。 

CDからダビングした好きな音楽をカセットに入れて、プレイリストを作ったり、ウォークマンに入れて好きな音楽を聴きながら街を歩いたり、CDチェンジャーを積んだ車でドライブしたり、、、こんなことは若い人にはほとんど分からない話だと思います、ジェネレーションギャップです。もちろんカセットテープだけの話ではありません。

 

『 世代間ギャップ 』

勉強しないでYouTubeばっかり見ている子供に、あんなのが何がそんなに面白いのかなぁ?と思っていましたが、そういえば自分自身も子供の頃に「テレビばっかり見てないで勉強しなさい」と言われてましたから、結局同じようなもんかもしれません。

「YouTubeはもういい加減にしなさい」と言いたい気持ちをおさえて子供に色々教えてもらうと、これがなかなか面白いので、なるほど、これは見たい気持ちも分からないではないと少し理解しました。

おそらく子供としてはYouTubeも知らない大人に一方的にダメと言われても、反発するだろうし、親も自分がよく分からないものを知ろうともせずに否定しても結果的にうまくいかないことがありますから、やっぱりお互い理解しようとすることが必要なのかもしれません。 

「昔はこうだったんだから、あなたもこうしなさい」というだけでは、ちょっと足りないのかもれません。

 

『 当たり前の怖さ 』

当たり前のようにビールで乾杯して、当たり前のように残業して、当たり前のように理不尽な上司がいて、訳の分からない会社の方針に従って生きていく、社会人はそれが当たり前だと教えられてきた世代、私もその世代です。

今の人とは全く違います。なぜ飲み会に出なきゃいけない?、なぜ無能な上司の言うことを聞かなきゃならない?、そんな話をよく聞きます。ただ、それは昔の世代の人も思っていたことじゃないかと思います。ただそういうことを表立って言えない空気感があっただけじゃないかと思います。

昔は当たり前だったことが、最近では非常識なことになっている、誰もが手軽に様々な情報を知ることが出来るようになり、また発信することができるようになったいま、偏った企業の考えは表面に出始め、それは笑いを売るはずの大企業が笑えない状態になっていることも然りです。

 

一方でコンプライアンスでどんどん潔癖症になっていく社会もどうかと思いますし、かといって公私混同でパワハラが横行する社会はもっと問題ですから、多種多様な時代だからこそ業種や企業ごとに時代にそったスタイルに変わっていく、ちょうどいいバランスを探している、そんなタイミングだと思います。

当たり前のように1日をこなし、それが続いていくと、ずっと変わらないと錯覚してしまいますが、同じく当たり前のように時代は流れていますから、ずっと今まで通りとはいかないわけです。

問題は変わろうとしない人達かもしれません。

まあ偉そうに威張っている人ほど、随分と時代錯誤になっている気もします。

 

『 Ageism 』

エイジズムとは年齢を理由にして人を差別する考えとして1969年にアメリカの老年医学者ロバート・バトラー(Robert N Butler)によって初めて使われた言葉です。

「年をとっているという理由で高齢者たちを組織的に一つの型にはめ差別すること」

昔から高齢者を尊重する習慣がある日本でも、問題になり始めています。

例えば、病院などで看護師が高齢の患者に対し子供相手のように話しかけたりすることは、エイジズムとは思われていないことが多いようですが、典型的なエイジズムなんだそうです。

 

『 誰が決めた? 』

2017年、活動家のアシュトン・アップルホワイト(Ashton Applewhite)があのTEDで話をしました。

テーマは「エイジズム(高齢者差別)に終止符を!」という興味深いテーマ。

人は誰もが平等に歳をとります。なぜ私たちは年を取ることを恐れ、悪いものだと見なしてしまうのか?

「もうこんな歳だから私は若くない」とか「歳だから仕事を引退しなきゃならない」「いい歳してみっともない」という思い込みこそが心身を老化させ、健康も損なうようになるということでした。  

そしていったい誰が “そういう思い込み” をつくりだしてしまったのか?

それは盛んにアンチエイジングを謳い、若いことを良しとする美容業界や、身体の老化を悪とするような医療業界などの資本主義社会やメディアなのではないかと?

面白い内容ですので、是非一度ご覧になってみてください。

 

『 年齢なんて 』

人生の時間が長くなるということは世代間のギャップもミルフィーユの層のようにより多くなり、そしてエイジズムもその数だけ増えていきます。

そしてその層ごとの違いは、魅力でもあり個性でもあります。そしてその価値は、違う年代にとってより魅力的であったりしますから、もし世代間のギャップを嫌がらず楽しむ事が出来れば美味しいミルフィーユになるはずです。

 

世代間ギャップやエイジズムの最大の問題点は『他者化』です、その人たちと自分は違うという思い込みです。

それは誰もが通ってきた道と、これから通る道を否定することです、過去の自分と未来の自分を差別しているなんて、全くバカげています。

一度しかない人生の時間を年齢を重ねる度にステレオタイプに振り回されて落ち込むよりは、歳をとることの素晴らしさを感じて過ごしていきたいもんです。

ジェネレーションギャップを少しくらいは理解できる余裕をもち、たいした意味もない年齢なんかに縛られなくなったとき、長生きするのが素晴らしいと思える時代になるような気がします。

 

最後に少しお知らせです、

ちゃんとちゃんとの学校のInstagram』では事務局の清水絵理さんが毎回素敵な本を紹介してくれています。

先日は『変装-私は三年間老人だった』という本を紹介してくれていました。

エイジズムについて考えさせられる本なんだそうです。これは読んでみようと思っています。

 

 

私達は様々なプロジェクトを、サポーターの方々の支援のもと活動しています。

2019年度から『ちゃんとちゃんとの学校』の記念すべき1期生のサポーター募集をスタートしております。

シニアのジリツ支援に関心がある方ならどなたでもご参加いただけますので、是非皆様のご参加をお待ちしております。

詳細はこちらをご覧ください

 

 

 

 

『 岡山でちゃんとちゃんと 』

 

「ちゃんとちゃんとはいいよね、雑多で」とある方に言っていただきました。私達にとって嬉しいお言葉でした。

よくわからない横文字なら、知ったかぶりをして後から必死に調べますが、”雑多”なら横文字が苦手な私でも分かります。

ちゃんとちゃんとは高齢者支援のプロジェクトですが、「高齢者」という言葉だけでは、ひとくくりにはできません。

高齢者といっても、60代と90代では30年も違いますから、親と子くらいの差があります。

親と子では好きな音楽も、ファッションも、遊びに行く場所も、食べ物の好みだって同じというわけにはいきませんから、「高齢者」という言葉もひとくくりには出来ない “雑多” なわけです。

 

『 とんがる場所 』

モノが売れないといわれている時代ですが、平均的な凡庸なものは駄目だと、売れるためには何かに特化した、他にはない、鋭くとんがったモノが必要だといわれています。

最近は、そういうものが注目されたり売れたりしているようです。それはなんとなく分かります、どうせならとことんこだわったものが欲しいし、使いたい、やはりそういうものには他にはない価値があると思います。

ただ、もっと大切なのは、とんがる場所じゃないかと思います。

 

『 岡山でちゃんとちゃんと 』

ちゃんとちゃんとの学校も、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらも “高齢者のジリツを支援する” という目的のために活動しています。

7月13日は初めて東京を飛び出して、岡山県の歴史ある倉敷市の美観地区にある倉敷物語館にて『ちゃんとちゃんとの学校』を開催しました。

倉敷市人権啓発活動事業費補助対象事業として、特定非営利活動法人『つくぼ片山家プロジェクト』の主催で行われた今回の『ちゃんとちゃんとの学校』は3連休の初日、しかも雨の降る中でしたが、わざわざ名古屋から駆けつけていただいた方、お祭りの花火が中止になって来れた方など、40名近い、幅広い年齢と立場の方々に参加いただき、始まりました。

 

『 授業 』

司会をつくぼ片山家プロジェクトの理事(事務局担当)をされている松岡邦彦さんにつとめていただき、前半は私から授業をさせていただきました。

もし1000歳まで生きることができたら、という話から2025年問題、認知症、介護、医療費、高齢ドライバー、そういう問題に対して、できることはないだろうか?と『ちゃんとちゃんとの学校』がつくられたきっかけと、そして “3つのジリツ” をテーマに取り組んできたことを紹介させていただきました。 

 

 

また現在取り組んでいる、私と幸田さんともう1人の立ち上げメンバーの三谷さんがプロジェクトリーダーをつとめる、”高齢者の低栄養” の対策になる食品開発をするフードプロジェクトを説明させていただきました。

 

他にも正しい歩き方を学ぶウォーキングイベント、そして自分にとって人生で最高の1枚の写真を発表し伝えていく100歳図書館プロジェクト、それから全国から地域包括ケアシステムの画期的な試みと注目されている、地域の分断をゆるくつなぎ直す千葉県多古町のタコ足ケアシステム」との取り組みなどを、まあ”雑多”な、でも『3つのジリツ』に根ざした取り組みを紹介させていただきました。

 

後半は主催の『つくぼ片山家プロジェクト』の地域包括ケアシステムの新たな形になるような取り組みを、つくぼ片山家プロジェクト代表である滝口美保さんと、理事の綾部小百合さんに、対談しながらご紹介させていただきました。

つくぼ片山家プロジェクトでは、倉敷市帯高に残る能楽堂もある古民家「つくぼ片山家」の保存と、その地域の方々の集まる場所となっている片山家で文化芸術の継承に関する事業や、様々なイベントを行っています。

とっても素敵な滝口美保さんの小さな頃の写真を見せていただき、当時の貴重なお話をお聞きしました。

そして昨年岡山を襲った豪雨、悲惨な洪水被害がありましたが、片山家では江戸時代末期に起こった当時の洪水被害を記した詳細な絵図が残っているようです。

それは当時の片山家の当主が作らせたもので、天災の恐ろしさを後世に伝え、悲劇を繰り返してはならないという意味があったようです。

昔から地域の方々にとって特別な、親しみのある古民家を使っての地域の人同士の交流や、人と地域がつながるまちづくりのモデルは、地域包括ケアシステムの新しいカタチかもしれません。

 

『 長生きの価値 』

そして幸田さんから、『ちゃんとちゃんとの学校』の目指していくものと、そして歴史ある倉敷の街並みに触れながら、歴史を重ねていくことの価値についての話がありました。

倉敷の美しい街と同じように、「人も年齢を重ねることは悪いことではなくて価値がある」

資本主義の社会では、生まれた時から常に誰かと比べられ、常に競争の世界を生きていかなければなりません。誰もがそのルールの中で、知らず知らずのうちにその価値観に縛られて生きているわけです。その価値観で高齢者の方を見てしまうと、マイナスな要素がどうしても目立ってしまいます。

 

でもその考え方そのものを、これからの時代は考えなおす時期にきているのではないでしょうか?

生産性を求められる合理的な社会ではマイナスなことも、他の見方をすれば魅力に、大きなプラスになることもあります。

それは海外からも観光客が後を絶たない歴史ある倉敷の街が証明している気がします。

生産性だけを追い求めてきて「ちょっと待てよ、本当はこんなことを求めてなかったんだ」と考える人がいる今の時代において、高齢者が年齢とともに出来なくなってしまうことがありますが、それ以上に長く生きてきた経験やその深みが、生産性だけを考える薄っぺらい数字では語ることが出来ない、何にも変えられない価値があるということなんだと思います。

倉敷の美観地区で聞くからなのか、参加者の方々の熱量が高かったからなのか、迷いながらもなんとかここまでたどり着いたという感覚もあったからなのか、幸田さんの話になぜかいつも以上に感動してしまいました。

 

そして最後には参加者の方々で “年齢を重ねていくことの価値” について話し合っていただきました。様々な意見がでてきて、なんだかとても可能性と勇気が出るような時間でした。

素晴らしい参加者の方々にあたたかく見守られながら、初めての岡山での『ちゃんとちゃんとの学校』は無事終了しました。

 

懇親会では同じ倉敷市美観地区にある、障害者就労継続支援事業所の利用者の方々が商品を作っていらっしゃる『虹色商店』で作っていただいたとっても美味しいスイーツと、お酒は無いですが、お酒が欲しくなるこれまた格別なおつまみをいただきながら、とても楽しく交流を深めることができました。

 

 

『 歴史 』

イベント終了後に、岡山が地元でもある幸田さんに倉敷市の美観地区を案内してもらいました。こどもの頃に来た以来の倉敷の美観地区は思っていたより広く、思っていたより見応えがありました。

先程紹介した「虹色商店」にも見学に行かせていただきました。障害者の自立支援に取り組む協同組合「レインボー・カフェ・プロジェクト」の発案で作られた古民家を改修して作られた虹色商店は、先月開店したばかりのお洒落なお店です。魅力的な雑貨も並んでいて、ついつい衝動買いをしてしまいました。 

 

小雨の中、街を歩きながら歴史があることの価値や、時間をかけることの意味を考えさせられました。エスカレーターも歩く歩道も、自動ドアもあまりなく、人力車が走る街並みは決して便利でもありませんが、なんだかいいなぁ、やっぱり好きだなぁと思いました。

簡単に説明出来ないからこそ、価値があるのかもしれません。

 

“長生きの価値” というものは、簡単には見つからないからこそ価値がある、でも無いわけではなくまだ見つけることができていない。

それは、とてもとんがっていて他には無いものかもしれない、その価値を多用性のある “雑多” なみんなで探していくことが、あっちに行ったりこっちに行ったり、遠回りしながら探していくことが『ちゃんとちゃんとの学校』のある本当の意味かもしれません。

 

 

今回このような機会をいただいた倉敷市人権政策部人権推進室の皆様、主催いただき、細やかな準備を含めてたくさんのご協力をいただいた特定非営利活動法人『つくぼ片山家プロジェクト』の皆様、そしてなにより雨の中わざわざ参加いただいた参加者の皆様、本当にありがとうございました。

より魅力的な『ちゃんとちゃんとの学校』を皆様とつくっていければと思っておりますので、ぜひこれからも “ゆるくまじめに” お付き合いいただけたら幸いです。

 

 

私達は様々なプロジェクトを、サポーターの方々の支援のもと活動しています。

2019年度から『ちゃんとちゃんとの学校』の記念すべき1期生のサポーター募集をスタートしております。

シニアのジリツ支援に関心がある方ならどなたでもご参加いただけますので、是非皆様のご参加をお待ちしております。

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『 こどもとちゃんとちゃんと 』

限られた人生の時間をどう使うのか? それは誰にとっても大きなテーマだと思います。

もし100歳まで生きたとすれば876,000時間をどう使うのか?

そしてそれは誰かのやりたいことではなく、自分がやりたいことであることが大切です。

とは言っても、日々のやるべきことはありますし、自分で出来ることや、出来ないこともあります。

身の回りのことや、なんやかんやで、しようと思えば出来ない言い訳をする材料も山のようにあります。

ボーっとしている間にどんどん時間は減りますから、どんなに遅いスピードであろうと、少しでもそこに向かっていたいとも思っています。

 

『 緊張感 』

仕事柄お年寄りの前で話すことには慣れていますが、若い人の前で話をすることは慣れていないので、やはり毎年緊張します。

今年で4年目になりますが、 東京大学名誉教授の眞鍋 昇先生から、いま学長補佐をされている(私の母校でもある)大阪国際大学の学生さん達の前で、話をさせていただく機会をいただき、講義をさせていただいています。

一応、専門分野は、”お年寄りとサプリメント” なのですが、日頃から眞鍋先生の栄養の講義を受けている学生さん達に、私の栄養の話なんて恐れ多くて出来るわけもなく、私の仕事の話や、これからの超高齢社会の話、サプリメントをよく食べるシニア世代の話、また、ちゃんとちゃんとの学校で始まったフードプロジェクトのアイデアや、ちゃんとちゃんとを始めたきっかけから、今までの話をさせていただきました。

 

人見知りで自分から行動しないタイプだった人間が、なんとかやってきた話ですから、役に立つかどうかはわかりませんが、とにかくやってみなきゃわかんない、とまあ、えらそーにお話させていただきました。

お付き合いいただいた学生さんと、機会をいただいた眞鍋先生には感謝の気持ちでいっぱいです。

 

『 こども 』

英国にあるロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン教授によれば、2007年に日本で生まれた子どもについては、107歳まで生きる確率が50%もあるという話が、著書『LIFE SHIFTー100年時代の人生戦略』に書かれています。

昔に比べて日本人は長生きになりましたが、これからはさらに長生きをしていく時代になっていくのだと思うと、それはそれでワクワクします。

 

こどもが好きです、それは自分の子供はもちろんのこと、誰の子供であろうが見てると子供ってなんだか面白いなぁと、つくづく思います。

こども達に喜んでもらえるようなことをやりたいと常に考えています。それはみんなに笑われても、いつかはおもちゃ屋さんになりたいと、いまだに思っていますし、おもちゃ屋さんはやっぱり夢があります。

こどもの頃に、おもちゃ屋さんのおっちゃんを見て、面白い大人もいるもんだなぁと思ったからかもしれません。

自分自身も、できれば子供に面白そうな大人もいるもんだなぁ、と思われたいもんです。つまらない肩書きとか名誉よりもそんな大人になりたいもんです。

 

『 ちゃんとちゃんとの先には 』

お年寄りがジリツして、どんどん好きなことにチャレンジする、お年寄りのエネルギーが社会を明るくしたり、新たな文化をつくったり、そういう時代になることが大切だと『ちゃんとちゃんとの学校』ではずっと発信しています。

それは全てのお年寄りの方には当てはまらないことかもしれません。ただし、そういうジリツしたお年寄りが他の方々に与えるエネルギーだったり、同年代の方で影響される人もいるはずです。

そして子供たちが、歳をとることっていいことなんだと思わないと、これからの超高齢社会はうまくいかないと思います。あまりにも距離がある話かもしれないですが、真面目にそう思います。

尊敬する眞鍋先生が、9月に保育士の方々に栄養学の講演をされると聞きました、保育士ではないですが保育士のフリをして参加しようかと思っています。それは冗談ですが、子供に携わる人が栄養学を学ぶことは凄く大切だと思いますし、それは高齢化の問題も同じように思います。

今回の大学の講義や今週末にある岡山のちゃんとちゃんとの学校の内容を考えているときに、ふと思ったのが、高齢化の問題は子供たちの問題でもあるんだということです。

子供は親の背中を見て育つとよくいいますが、果たして子供がワクワク出来る時代がこれから本当に来るのかなぁ?と考えるとそうは言えない気がします。

まあ、私達が何かをやっても意味がないと言われるかも知りませんが、チリも積もらないと山にはならないですし、出来ることをやらないよりはやるほうがいいと思いを強くしています。

 

“子供がワクワクしながら憧れる、おじいちゃんとおばあちゃん”

そんなおじいちゃんやおばあちゃんが増えてくるような時代を私達は目指したいと思います。

 

いよいよ今週になりました、シニアのジリツ支援プロジェクト『ちゃんとちゃんとの学校』では7月13日、初めて東京を飛び出し岡山でちゃんとちゃんとの学校を開催します。是非気楽にご参加ください。

私達は様々なプロジェクトを、サポーターの方々の支援のもと活動しています。

2019年度から『ちゃんとちゃんとの学校』の記念すべき1期生のサポーター募集をスタートしております。

シニアのジリツ支援に関心がある方ならどなたでもご参加いただけますので、是非皆様のご参加をお待ちしております。

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