『 スターダスト 』

「 ヨルダンに遠征です 」 

森本貴幸選手、久保建英選手に次いで歴代3番目の若さの16歳4か月20日でプロリーグにデビューしたのがFC東京の佐藤龍之介選手、そして彼の父親が古くからの友人です。

U-19(19歳以下の日本代表)に選出されその遠征でヨルダンに行くとのことでした。

また例によってサッカーの話です。

佐藤龍之介選手が幼稚園くらいの時に親子サッカーの大会に誘ってもらったことがありました。

うちの子ども達も含めて一緒にサッカーをしたのですが、小さな身体ですばしっこくてよく転んでいたこと、そしてすぐに立ちあがってはボールに突っ込んでいく姿が印象的でした。

彼が何回もシュートを打って、ゴールキーパー役の私がそれを全部止めていると運営の人に「入れさせてあげてください」と注意され、「わざと入れても楽しくないもんなぁ」と龍之介君と2人で話をしていたことも覚えています。

そんな彼がプロになり年代別とはいえ日本の代表になるとは本当に驚いています。

ここまで来るのにどれだけ辛い練習してきたのか、悔しい思いをしたり、休みの日に遠征をしたり、多くの犠牲をはらって濃い時間を過ごしてきたのだと思うと立派だなぁと思います。

また同じような努力をしたとしてもたどり着けない人がほとんどのこの場所に、いま居れるということは才能はもちろんのこと決めなければならないシュートを入れてきたから、大切な試合で活躍してきたからだと思います。

今となってみると転んでも転んでもすぐに立ち上がってボールに突っ込んでいったあの貪欲さ、諦めない強いあの姿に、なにか大切なものがある気がします。

もちろん想像できないくらいの家族からのサポートがあったことも大きな力になっているはずです。

ただのサッカー好き素人の意見ですが、守備陣を破壊するスルーパスもボールを奪われないドリブルも素晴らしいですが、とにかく視野が広くポジショニングが素晴らしい選手です。

自由でどこにいてもいいように思われるサッカーですが、その瞬間瞬間でいるべき場所にいる、”そこにいる” ということがかなり重要なのが現代サッカーです。それをこの年齢で自然にこなしているサッカーセンスに優れた選手です。

またこのタイプの選手では珍しく運動量が豊富でディフェンスの強度もありチームのために走れる選手です。佐藤龍之介選手をぜひ注目ください。

 

『ウォーキングフットボール』は文字通り走らないフットボールです。

一般的なサッカーと同じく始まりはイングランドで2011年7月に行われた55歳以上の高齢者の健康のためのサッカーが原点と言われています。

本家同様手を使ってはいけないことは同じですが、走ってはいけない、接触してはいけない、ヘディングしてはいけない、そして難しいオフサイドはありません。その他にもサッカーより少人数で行うことや、小さなフィールドで行うことなどからサッカー未経験者でも手軽に始められることが特徴です。

運動が苦手でも、障害があっても、何歳になっても怖がらずにプレーできるウォーキングフットボールは世界的な高齢化とフットボールの認知度と合わせて注目されています。

その他にもゴルフ場でサッカーボールを蹴る爽快感のあるフットゴルフや、ウィッフルボールは簡易版の野球で道具はプラスチックのボールとバットを使用します、そういや昔公園でやってた気がしますが、そんな年齢を気にしないで楽しめるスポーツが増えています。

厚生労働省の調査では、運動習慣のある人(1回30分以上の運動を週2回以上、1年以上続している人)は65歳以上の男性で46.2%、女性では39.0%となっています。男女ともに”健康日本21(第2次)”の目標値に届いていない状態です。

“健康日本21″とはなんなんだ?というと、平均寿命がのびる中で健康づくり対策を総合的・計画的に推進するために厚生労働省が1978年からスタートした「国民健康づくり」運動のことです。

健康診査の充実などを取り入れた第一次が1978年、1988年、2000年、2013年、そして2024年、今年から第五次「国民健康づくり」がスタートしています。

そして2000年から”健康日本21″と呼ぶようになってからは第三次になるようです。あーややこしい

健康日本21(第三次)では健康寿命は今まで通り伸ばしつつ、社会が多様化する中で「誰一人取り残さない健康づくり」を推進していくことがテーマで、よりそれぞれにあった方法でより実効性をもつ取組に重点をおくようです。
誰もが楽しめて健康寿命ものびるような、そんな新しいスポーツが生まれるのは長生きの時代の新たな楽しみのひとつかもしれません。

ちゃんとちゃんとでも何か新しいスポーツ考えたいですね、俳句を詠みながらテニスをしたり、麻雀しながらサッカーしたり、、。

 

 
 
 
 

4月になりました、また食品や佐川急便やクロネコヤマトの値上げが始まるようです。
そして75歳以上の人が支払う公的医療保険料も今月から上がります。年金収入が年211万円を超える方が対象となる予定です。

また介護分野でも65歳以上で年金や給与の合計所得が420万円以上ある人は保険料が上がるんだそうです。

 

 
 

 

そんな大変な中にも関わらず、政治家のキックバックの話を聞くと、もう呆れてしまいます。ボールの代わりにキックしてもらったほうがいい気がします。

 

 

『 スターダスト 』

サッカーは選手が主役ですが監督も同じくらいに重要です。

複雑になった戦術の影響やサッカーを取り巻く環境の変化で監督に求められる能力も変わってきています。特に代表チームとなると監督は選手とスポンサーやサッカー協会などの間に立ちうまく立ち回れる能力も必要です。

八咫烏のマークの日本サッカー協会(JFA)は元日本代表の宮本恒靖さんが47歳で最年少の会長に就任しました。

これからはスポンサーやサッカー教会の顔色ばっかりうかがうのをほどほどにして、強い代表チームをつくるために現場に寄り添った運営をしてくれるといいなぁ、だれでも元々はサッカー少年だったはずです。

ワールドカップの誘致や国際大会の放映権、マーケティング権など巨額のマネーが動く組織になったFIFA(国際サッカー連盟)では汚職事件がよくおこります。

金にまみれて腐敗したFIFAを「サッカーを理解しない人々がサッカーを運営している」と批判し続けたのはマラドーナでした。マラドーナは選手として偉大になっても権力を嫌って選手やサポーターの味方でした。

政治の世界や企業など、組織の問題を考えさせられるようなニュースをよく目にします。

組織ぐるみの隠蔽とか、大きな力の前に従わざるをえなかったかのような事が近頃よく起こっているような気がします。

いままでは見えなかった部分が、見たくなかった部分が見えるような時代になってきたのかもしれません。

どこの世界でも自分は何もせずに甘い蜜だけ吸うような人もいますが、そんなふうになるんだったらずっと働いているほうがいいなぁ、現場が好きだなぁ、プレイヤーがいいなぁなんて思ったりします。

 

138億年前に宇宙が誕生して、初期の宇宙では人体を構成するような炭素や窒素のような元素が含まれていなかったようです。

それから宇宙に星ができて、その星の中心部で炭素などができる、そして長い長い時を経てその星も寿命を迎えます。

星は死ぬ時に爆発します、星が飛び散った残骸で出来たのが今の太陽であり、太陽系なんだそうです。

つまり人間の身体は大昔の星の残骸でできているんだそうです。

YouTubeでみたカリフォルニア大学の野村泰紀さんの話が面白くて本を読み漁っています。

4月は色々始まる季節ですよね、不安も期待もありますが、星の残骸なんだと思えば、いつからでも誰でも輝ける気がします。

 

『 バトン 』

「誰だって最後はオムツをはくのよ」

奥さんに励まされて子どもの親になる決意をし、子どもが大きくなる頃には自分が子どもになり、そして認知症になる。

M1を見てから久しぶりにそんな映画を観ました。

生物はバトンを渡すように命を繋いでいくわけですが、長い短いはあれどそれは繰り返し繰り返し続いています。

最初に翅(はね)を獲得したとされる昆虫にカゲロウがいます。見た目がトンボみたいなカゲロウは飛ぶのが下手で、フラフラと風に流されているように飛びます。

日光で熱せられているアスファルトの上や,遠くの物がゆれたりゆがんで見えたりすることを陽炎(かげろう)といいますが、そのフラフラと飛ぶ姿が陽炎のように見えたからカゲロウと名付けられたとも言われています。

そしてカゲロウは寿命が短い虫です。「エフェメラセット」というカゲロウは翼のある状態で5時間しか生きられません。使い捨ての切手やハガキなどを「エフェメラ」と呼びますが、「1日」という意味のラテン語に由来しているんだそうです。

思っているより儚く短い人生を「かげろうの命」と言ったりすることもありますが、カゲロウは1日もない短い命のバトンを3億年もつないでいます。

 

そういえば忘年会で「ミュージシャンは早く死にがちだから、推せるうちに推したほうがいいですよ」とある人に言われて、死んじゃったチバユウスケの “世界の終わり” を歌うバンドのチケットを買いました。そういえば。

 

 

『 あと1年 』

元日から能登半島地震が起こり北陸に甚大な被害が出ました、多くの犠牲者の方が出て、当たり前の日常が奪われてしまった方もおられるなか「おめでとう」とは言えない新年が始まりました。

2015年頃からシニア支援のプロジェクトとして始まった、この活動のひとつのテーマが「2025年問題」でした。

2025年には人口の3人に1人が65歳以上になり、75歳以上の後期高齢者が総人口の2割になり、社会保障制度や医療や介護など、さまざまな分野に影響を及ぼすことが懸念されているこの ”2025年問題” に対して、私たちにも何か出来ることがあるのではないかと手探りでスタートしました。

シニアに関わる方々や考えに共感していただいた方々に、それぞれの仕事の合間の時間を使って負担になりすぎないように、気軽に参加してもらえるように、カジュアルでゆるく参加いただけるようなスタンスで、まあまあ休んだりしながらいろいろなことを行ってきました。

ちゃんとちゃんとの学校では、シニアのジリツ、ちゃんとするってどういうことなのか?ということを考えてきました。

またこの活動の大きな目標としては健康寿命をのばすこと、そして長生きの新たな価値をつくっていくことだと思っています。

健康寿命をのばすためには年代に合わせた食生活、栄養を学ぶことが必要です、そしてフレイル予防には正しい運動、歩き方が必要です。歳をとっても1日でも長く働いて社会に貢献することも素晴らしいですが、それだけではなく年齢を重ねること自体にもっと価値があるのではないかと、その価値を表現していくことも必要不可欠だと思っています。

2025年問題をテーマに始めた活動なので、今年は仕事をさぼっても出来ることをやろうと思いますし、まだ何も相談もしていないので勝手に思っていることですが、年末にはまた東京大学でちゃんとちゃんとの学校のイベントができたら素晴らしいなぁとも思っています。

 

”ぽいち” ことサッカー日本代表監督の森保一さんと、明石家さんまさんが対談している動画を観ました。

日本代表が練習するピッチの上に2つだけ椅子を置いて語り合うのですが、内容は意外でした、それは森保監督からさんまさんへのインタビューでした。

その中で印象的な話がありました。

母親に育てられ、社会に出ると実の父親以外にたくさんの父親に出会う、そして生き方を学ぶ、尊敬できる父親もいれば間違った父親にも出会う、でもそれは全てに意味があるんだというような話をさんまさんがしていました。

昔では考えられないくらい強くなったサッカーの日本代表ですが、そこまでにはたくさんの失敗と経験と学びがあったはずです、そしてそれを繋いできたから今があると思うと、無駄な時間など無かったんだと思いますし、続けていくことの重要さを感じます。

ちゃんとちゃんとの学校でも、知らず知らずのうちに何かを受け取っていたり、誰かに渡していたり、無意識にそんなバトンパスを続けてきたんだと思います。

2025年まで1年を切り、この活動もいよいよ大きな節目になります、あっちに行ったりこっちに行ったりカゲロウのようにフラフラしながらも、ゆるくまじめに活動していきたいと思います。

 

『 通り道 』

小学生の頃、近所に大きなチャウチャウ犬がいました。

子供心にライオンみたいだなぁと思っていたそのチャウチャウは滅多に吠えない利口な犬でしたが、友達の家に行く途中にはチャウチャウのいる家があり、その道を通るしかなく、いつもビクビクしていました。

ある日母親が「あそこのチャウチャウが吠えたんやって、珍しいこともあるんやなぁっていうとったらな、近所に泥棒が入ってたみたいやで、やっぱりあの犬はえらいわぁ」と言ってたことがありました。

それからはチャウチャウの前を通るときには心の中まで見られているような気がして、最近やった悪いことがバレないように吠えられないようにしながら通っていました。

どこかに行きたいときには、必ず通らなければならない道があったりします。

 

今月はなんだかんだでずーっと大阪にいます。探していた本が売っていなくて、なんでもあるはずの梅田の紀伊國屋に行ったんですが見つからず、ここにないならしょうがないと違う本を買ってみたら面白くてあっという間に読み終えました。

ゲームのし過ぎで親指に起こる炎症を「Nintendinitis(任天堂炎症)」とアメリカで命名されていることや、昔の手術の恐ろしさなど、まあ危なっかしくて面白いのですが、その中に手術中にガーゼを患者の身体の中に置き忘れてしまうという話が書いてありました。

手術中には数十枚ものたくさんのガーゼを使うようで、ガーゼは水分や血液によって小さく縮んだり臓器や脂肪に隠れてしまったり、そうするとうっかり忘れてしまうことがよくあるんだそうです。

そんなわけで手術のときには手術室看護師さんという方がいて、ガーゼの置き忘れを防ぐためにガーゼの枚数を数えて記録する『ガーゼカウント』と呼ばれる業務まであるそうです。なるほど大切ですね。

ガーゼはあらい目で繊維を織り合わせた生地を指す広い意味の言葉で、語源は絹を表すアラビア語の「qazz」や生糸を表すペルシャ語の「kaz」からきており、そしてそれらの単語は絹の起源であるパレスチナのガザ(Gaza)に由来するんだそうです。

 

10月7日にパレスチナ武装勢力ハマスがイスラエルにテロ攻撃を行い、その後イスラエルがガザ地区に攻撃を始めています。さらに地上侵攻が始まるとハマスとは関係のないパレスチナの民間人が今まで以上に犠牲になる可能性が高く悲惨な状況です。本当にあっちもこっちも早く停戦になりますように。

 

10月10日は尊敬する眞鍋先生に機会をいただき、コロナもあったので久しぶりになりますが母校である大阪国際大学で講義をさせていただくことになりました。

まあ講義なんていえるものでは無いですが、今の仕事とこれまでのこと、そしてこれからのことをお話させていただきました。

今回で5回目になるのですが、毎回準備をして話をしても上手くいかず反省ばかりしています。ただ今回は自分の子供も大学生になったので自分の子供に伝えるつもりで準備をしました。

これからは日本の人口が減り、少子高齢化が今以上に加速します。多くの業種は人口の約3分の1をしめるシニア向けにすでに変わっていて、働き手が減り自動化も進んでいます。なくなる仕事もあれば今までなかった仕事も生まれ、人にしかできない仕事がより重要視されることになりそうです。

また眞鍋先生から日本で介護の仕事をしていた人が、カナダのバンクーバーで働き始めたという話を聞きました。

日本人ならではの丁寧さや優しさが評価されているようで、給料は日本の5倍なんだそうです。これからは野球みたいに日本で基礎を学んでメジャーで活躍する人も介護では増えるのかもしれません。

一方では高齢化が進む社会では病気や要介護が増えます、また年金などを含めた社会保障費も上がり続けるという課題があります。そんな中で求められていることが健康寿命をのばすことです。これはどの世代にとっても無関係ではないので、これから社会に出て行く学生さんにもお話をさせていただきました。

今までの病気になってから治療するという時代から、病気になる前にならないようにしていくことがより必要な時代になります。従来の医療は必要不可欠ですが、それだけではなく運動や休養はもちろん、栄養を学んだりサプリメントも欠かせない時代になると思います。

ただ健康的な食事以外は信じられなくなるオルトレキシアと呼ばれるような摂食障害など偏った考え方などがあったりする時代でもありますから、なるべく偏りのない情報を、また年代や個人によって変わってくる必要な栄養や運動などの情報をシニア層の方々にわかりやすく伝えていくことも大切だと思います。

そして『ちゃんとちゃんとの学校』の活動についても学生さんたちにも聞いていただきました。

人生最高の1枚の写真を選び対話する100歳図書館を紹介して長生きすることの新たな価値を考えていただきました。

学生さんからは「自分の人生を振り返ったり、写真を撮った時のことを思い出したり、誰かに話をしたりすることが認知症の予防や高齢者の孤独を防ぎ、社会へのつながりを保つという意味を持っている点が素晴らしい、自分より何倍も生きている人がどんな写真を選ぶのか気になった」とありがたい意見もいただくことができました。

また健康寿命をのばすための歩き方を学ぶウォーキングイベントの話もさせていただきました。ちなみにウォーキングイベントのリーダーの加藤さんはこの日のためにわざわざ山梨から車で、しかも下道で駆けつけていただきました。加藤さんありがとうございました。

 

そして最後にえらそうなことを言わせていただきました。

僕の子供は、やりたいことがないとか、好きなことが分からないとよく言っています。僕はそれでいいじゃないかと思います。僕もそうだったからです。

計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)は、心理学者のジョン・D・クランボルツ教授によって1999年に発表されたキャリア理論で、個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決まる、それをより良いものにしていこうと計画するというものです。

最初から目標がありそれを目指す人生は素晴らしいですが、そう出来ない人もたくさんいます。

変化が激しい予測不能な時代にはもしかしたらこちらのほうが適しているのかもしれませんが、生きていると何事も当初の予定通りにはならないわけです。

人は毎日決断しています。人生を左右するような決断もあれば、立つか座るか、コーヒーにするか紅茶にするか、そんなことも含めると、人は1日で35,000回も決断しているようです(ケンブリッジ大学Barbara Sahakian教授の研究)。

何も考えていないように見えても、人は無意識に自分の生きたいように生きていく決断をしているわけで、そのためには自分に正直でいることが大切です。

いまは成功したい人より失敗したくない人が多い時代です。たくさんの情報があればあるだけ失敗しないマニュアルみたいなものがあり、うまく生きていくことを教えてくれる人や情報が掃いて捨てるほどあります。そんな人のマネをしても、その先にあるのは自分の行きたかった場所ではありません。

自分で選んだ道はそのときは失敗したと思っていても、後になってみるとその道を通らなければ辿り着けなかった道だと分かったりすることがあります、あとから失敗は必要だったと分かります。

やりたいことを急いで探すことより、何かを決断するときには自分に嘘をつかないことが大切なんじゃないでしょうか。

なんて、悩んでいる自分の子供に伝えたいことを学生さんに伝えてしまいました。よく分からない人の話を一生懸命に聞いていただいた学生さんには感謝の気持ちしかありません。

最後のわけのわからない話はおいといて、健康寿命をのばすことの授業は、もっと若い世代から考えていかないといけないことなんだと、強く感じました。

ちゃんとちゃんとの学校もゆっくりのんびりと歩き始めようと思っています。

んな道を歩いたっていいじゃないか