中身が見えない箱に「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」と「原子の崩壊を検出すると青酸ガスを出す装置」を入れる。そこにネコを入れて蓋をして1時間待つ、はたして猫は生きているのかどうか?
子供の頃、NHKでやっていたアインシュタインロマンという番組でこんな話がありました。
「シュレディンガーの猫」という話で、えらいちっちゃい量子の世界では猫が生きているかどうかは見てみるまで分からないというのです。観察することによって結果が決まるという、まあ分かったような分からない話でした。
髭をはやしたアインシュタインの真似をした役者さんが「君は、君が見上げているときだけ月が存在していると本当に信じるのか?」と言っていました。人がいる前から物理学が成立していたのかどうか、なるほど…わからない。
『 センテナリアン 』
100歳以上の人口は7万人を超えていますが、100歳以上の方をセンテナリアン(centenarian)と呼び、105歳以上をセミセンテナリアン、110歳以上をスーパーセンテナリアンと呼ぶようです。
そしてそういう長寿な方々が、なぜ長生きなのか?
イタリアのセンテナリアンの調査では、ビタミンAやEを多く摂っているのが長寿の原因だとしていたり、慶應義塾大学医学部百寿総合研究センターが20年以上にわたって行っている「百寿者調査」ではセンテナリアンには糖尿病が少なく、肥満はいない、また誠実な性格であり、よく食べるなど、、などなどと特徴があるようです。
ただこれも分からないことがたくさんある気がします。
唐揚げばかりを食べているおばあちゃんが長生きしたり、ヘビースモーカーや酒飲みが長生きすることもあり、かと思えばオーガニック食品ばかり食べている人が長生きではないこともよくある話でもあります。
長生きに食べ物がどれくらい影響があるのか?精神的なストレスがどれくらい影響があるのか?ウイルスがどれくらい影響があるのか?
結局のところ大事なことはわからない。
わかったつもりでいると、実はわかってないことばかりだと思い知らされているこの頃です。
『 永遠 』
常に移ろい過ぎ去っていく時間に対し、不変のものをあらわす「永遠」。
確かに言葉は存在しますが、そんなものは今まで見たことがありません。
生きているとときには、ずっとこの時間が続いてくれたらいいのになぁと思う瞬間があります。
でもそんな時間も永遠というわけにはいかず、過ぎ去った時間を悔やんだり、思い出したり、でもそんな時間があったことは良かったのだと考えるようになったり、そんなことをしながらその思い出を漬物みたいに長く保存させていきます。
生きていく時間が長ければ長いほど喪失感は増えていくのだと思います。
でもそれはもっていたからこそ失うわけですから、失う悲しみと一緒に永遠に続いて欲しかった時間があったという事実も、喪失感には含まれているのだとも思います。
何歳になっても、大切な人ほど、こういうときになんて言葉をかけたらいいのか、わかりません。
『 わからない 』
出口の見えない新型コロナウイルスの影響で、テレビではそのニュースばかりで、誰もが感染症対策をして、マスクが無くなり、出張先ではあれだけいた外国人の姿もほとんど見かけることがなくなり、テレワークになる企業も出てきて、各種イベントも中止が後をたたない、そんな状態です。
誰しも気をつけなければいけませんが、特に高齢者の方々は気をつけていく必要がありますので、普段からご高齢の方々と接することが多いちゃんとちゃんとの学校の皆さまも頑張っていらっしゃると思います。
こういう大きな問題に直面すると、これからの生活のスタイルなども変わらざるをえない気がします。
在宅で仕事をする人が増えたり、通勤ラッシュが減ったり、感染症対策がより普及したり、やはり何かがないと変わらないということなんじゃないかと思います。
わからないことは不安ですし、だからこそ学んでいくしか対策を考えるしかないんだとも思います。
ちゃんとちゃんとの学校でシニア支援プロジェクトとして、微力ながら何か出来ることはないだろうかと無い頭を振り回して考えています。
あーわからない。