『 生と死 』

Netflixのインタビューで「ワクワクしながら死にたい」という言葉が座右の銘になったと明石家さんまさんが言われていました。ただ、そう思うのはまだまだ難しいとも付け加えていました。

「死」というのは誰もが逃げることが出来ないことの一つですが、正直あまり考えたくないことでもあります。いくつになったら死の恐怖がなくなるのか?そんなものは一生なくならないのか?死んだらどうなるのか?子供の頃からの謎は今になってもよくわかりません。

 

『死んだらどうなる?』

死のとらえた方は国によって違いがあります、寄藤文平さんの『死にカタログ』では様々な時代、国や地域などでの“死後の世界”についての違いがイラスト入りで紹介されています。日本では天国と地獄があり、地獄は地底8階建てで最下層は「無間地獄」で頭が牛や馬の管理人に永遠にいじめらるとか、フィリピンでは死の儀式に失敗するとコオロギに、フランスではハエになったり、アイルランドではチョウになったり、死者の国で待つエジプトや、輪廻するインド、など様々な死後の世界の捉え方が可愛らしいイラストと共に紹介されている興味深い内容です。

 

『後悔』

大津秀一さんは過去に1000人以上の人の「死」を見届けた終末期医療の専門家です、その大津秀一さんの著書『死ぬときに後悔すること25』には題名通り“死ぬ前に後悔する25のこと”が書いてあります、ずいぶん前に友人のお父さんがガンの末期だと聞いて、その友人に渡そうとして買った本ですが結局渡す前に残念ながらお亡くなりになり、結局渡せずになっていた本でもあります。

それから何年も経ち本を開くと、

・自分のやりたいことをやらなかったこと

・自分の葬儀を考えなかったこと

・美味しいものを食べておかなかったこと

・会いたい人に会っておかなかったこと

などなど、とても考えさせられます。

今やらなくても、そのうちやればいい、土壇場にならないと頑張らない、テスト勉強も一夜漬け、ブログも追い込まれないと書く気がしないというそんな私には頭が痛い内容でした。

本を読んでいる最中に思い出したことがあります、それが昔の職場の先輩に聞いた“仇桜”の話です。

「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」【親鸞上人絵詞伝】より

“明日も咲いているだろうと思っていた桜も、夜のうちに嵐が吹いて散ってしまうかもしれない”

という意味で、今を大切に生きることを感じる“仇桜”です。

 

 

 

英語には“kick the bucket”(バケツを蹴る)という表現があるようです。意味は「死ぬ」という意味のようで、首を吊って自殺する時に台にしていたバケツを蹴るところからきているようです。

 

余命6ヶ月の孤独な大金持ちと、家族の為に45年間真面目に働いてきた2人の老人が人生最後にやりたいことリストを作り、冒険に出るというジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの共演でも話題になった「最高の人生の見つけ方」(邦題)は原題が「The Bucket List」“死ぬ前にやりたいことリスト”です。

そのタイトルと同じ名前のノートも出ているようです。

「BUCKET LIST  」PAS-PAL

死ぬまでにしたい100のことを書きとめて、実現させるノート、完成出来れば凄いですね!

 

 

 

『キューブラー・ロス』

エリザベス・キューブラー・ロス(Elisabeth Kübler-Ross)は『死』を科学的にとらえようとした精神科医です。死にゆくプロセスを5段階にとらえたことでも知られています。著書である『死ぬ瞬間』は、世界的なベストセラーとなりました。

第1段階【否認と孤立】

自らの命があとわずかだと理解しようとするが、認めたくない、現実的な周囲と、認めたくない自分とに距離をとり、孤立する

第2段階【怒り】

死が近いのは理解できたが、なぜ自分だけが死ななければならないのかという怒り

第3段階【取り引き】

信仰のあるないに関わらず、死を遠ざけてほしいと願ったり、何かをする代わりに少しでも生きたいと願う

第4段階【抑うつ】

死の回避ができないことがわかり、悲観と絶望に打ちひしがれ、憂うつな気分になる

第5段階【受容】

生命が死んでいくことは自然なことだという気持ちになる。

この内容はサナトロジー(死学)の基本テキストとして世界中で読まれている一方で、本当に科学的なのかといった様々な批判もあるようです。

 

 

シニアの自立支援のプロジェクトのブログにこういう内容を書くのも正直どうかとも思いましたが、『死』を怖いものだから意識しない方がいい、縁起でもないという気持ちも分かります、一方で最近は『終活』という言葉もあり、怖い、考えたくもない『死』に対して向き合って、意識していくことも大切だという考え方もあるのも事実です。

 

「死は怖いのは事実、ただ死ななかったらこんなに頑張らないし、死があるっていうのが脳で分かっているから、喋ったり、女の子とデートしたり、タバコ吸ったり、水のんだりするんだろうと、死を当たり前として生かされているのがある」と冒頭の明石家さんまさんのインタビューの続きがありました。

子供の頃は『死』なんて言葉を使うだけで母親に怒られたのを覚えています、どこかタブーにされている『死』ですが、死を意識することにより、よりやるべきことや大切なことが明確になる気がします、もしかしたら本当に大事なものは案外シンプルでそんなに多くはないのかもしれません。

当たり前のように1日が終わりまた次の1日が始まる、そんな日常はいつまでも続くものだと錯覚します、そんなとき、何かのきっかけで考えさせられる『死』は、限られた時間の中で自分には何が出来るだろう?といつも考えさせてくれる生きている証明のような気がします。

 

 

シニアの自立についてみんなで学ぶ「ちゃんとちゃんとの学校 vol.4」が12/14(木)、19:00より開催します。

今回は『シニアの心のケア』をテーマにして、参加者の方々と一緒にシニアの方に贈るクリスマスプレゼントを作ったり、マクロビメニューの出るクリスマスパーティーも行う予定です。少しでも興味のある方ご参加お待ちしております。

 

▼▽▼参加受付中▼▽▼

ちゃんとちゃんとの学校 vol.4
~シニア支援パーソンが集う勉強会~
詳細・ご予約

https://www.facebook.com/events/1276115312492431/?ti=icl

日時 : 2017年12月14日(木)19:00~20:30
会場 :パークスターズ東京青山会議室(青山一丁目駅)
主催 :  chant-chant プロジェクト

 

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