『 ジャイアントキリング 』

”ジャイアントキリング”「Giant Killing」とは弱者が強者を倒すという意味で、よくサッカーなどで弱小チームが絶対に勝てる見込みがないような格上の強豪チームを倒したときなどに使われる、大番狂わせを意味する言葉です。

プロのJリーグのチームが大学生のチームに負けることもありますし、必ずしも資金面や選手の能力だけで勝敗が決まる訳ではないということが時におこります。

まさか勝てると思っていないチームが勝利すると選手や監督やスタッフがやればできると自信をもち、それを応援していたサポーターや、自分を弱いチームに照らし合わせて見ていたような一般の普段あまりサッカーを見ないような人たちにも勇気を与えることがあります。

少しオーバーかもしれないですが”ジャイアントキリング”は世界を変えるということだと思います。

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これはサッカーだけではなく社会的弱者といわれているような人たちにも当てはまることではないかと思います。

 

アメリカのペンシルバニア州アレンタウンで育ったエイミー・マリンズは1歳になる頃から医学的な理由で両足の膝から下を切断しています。義足を付けた彼女はこれを障害ではなく、普通の人が逆立ちしたってかなわないスーパーパワーを手に入れられると考え、陸上の短距離選手として活躍し1996年のパラリンピックでは3つの世界新記録を打ち立て、その後はファッションモデルや女優としても活躍し、2009年にTED(Technology Entertainment Design)【アメリカのニューヨークに本部がある毎年大規模な世界的講演会を主催している非営利団体】のステージに上がりました。身長172cmのマリンズは185cmになって登場します。マリンズはいつもイベントに合わせて義足を選ぶ、街を歩くとき、パーティに出るときといった具合にと説明します。

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そのTEDのステージを見た人が、伝統的な義肢業界とは無縁のイノベーター、デザイナー、アーティストたちが独創的な義足をつくれると気づき夢中になり、社会が障害を持つ人々への見方を変えた、義足は欠点を補う道具ではなく、どんな新しい可能性があるかを見つけ出すものになった。(『TED驚異のプレゼン』より)。1歳で両足を失ったエイミー・マリンズは自らの強い意志によって世界を変えました。

 

 

世界遺産の姫路城で有名な姫路市の東側に人口約4万5千人の加西市があります。今年市制50周年を迎える加西市は豊かな自然に囲まれた美しい街で、病気や害虫に強く煮崩れしにくいジャガイモ”はりまる”に代表される豊富な農作物や、昨年の全国高校生ビジネスプラングランプリで全国トップ10入りした県立播磨農業高校、歴史ある北条鉄道などとても魅力的な街です。

 

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その加西市で世界を変えるために頑張っている”Do-it”というボランタリーグループがあります。”Do-it”では障害者の方が無料で参加出来るヒップホップのダンス教室を月に2回、5ヶ所で開催しています。

 

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”Do-it”を始めた人物が阿部さんです。阿部さんは市役所に勤めながら休みの時間などを使って障害者の方々に向けヒップホップを教えています。予定を組み、会場を借り、車に荷物を積んで会場を回り、ダンスを教えて、その全てをたった1人で阿部さんがやっています。

阿部さんはとてもエネルギッシュな人で周りにいる人まで阿部さんのように何かやらないといけないと思わせるような魅力をもった人だと思います。

障害をもったの方のダンスは普通では思いつかないようなダンスが出てくるようで、一流のダンサーの方ほどすごく刺激を受けるようです。

「例えば障害をもった方がダンスで有名になり、プロになってたくさん稼げるようにでもなれば、障害をもっているかどうかを飛び越えて、それをみんなが目指すようなことがおこるかもしれません、そういう社会になるようにしたい、そうすれば世界が変わります」と阿部さんが話をしてくれました。

 

 

その阿部さんが今年からシニア向けのヒップホップの教室をスタートさせたので見学に行かせていただきました。初めて参加される方や、今回が2回目の方もいる中、「初めて参加だけど、大丈夫かしら?」と不安を口にする方もいる中スタートしました。参加者の方々の緊張をほぐすような阿部さんのおしゃべりと高齢の方も無理なく出来るストレッチから始まったダンスレッスンは徐々にレベルアップし、30分足らずで驚くほど素晴らしいダンスが完成されて、信じられないぐらい驚きました、とにかく感動しました。

初めての参加者の方も、終わる頃には打ち解けて、スタジオには笑い声が増え、笑顔になり互いに教え合う姿は、年代や様々なものを超えて通じ合えるダンスの素晴らしさを見た気がしました。

 

 

 

1970年代のニューヨークは財政悪化から最悪の時代を迎え、その中でもサウスブロンクス地区は酷く、毎日のように起こる放火、ドラッグ、犯罪が横行し警察からの対応はなく、行政からも見捨てられた無法地帯になっていたようです。住む家や食べ物にも困るような人々が日々の辛さや、ぶつけようのない怒りや、つらい現実を忘れるようにストリートにラジカセを置いて音楽を大音量に流して誰からともなく踊る遊びがヒップホップの始まりともいわれているようです。音楽のジャンルや人種や年齢もバラバラな人達が集まり踊る、その時間だけは同じ気持ちになれるヒップホップは最悪の時代の最悪の場所から始まった、社会的に1番弱い立場の人間から始まったストリートカルチャーだったようです。

 

 

そんなヒップホップで超高齢社会の日本で介護の予防になるような仕組みをつくりたい、プロジェクトも協力させてもらって広めていきたいと阿部さんと話をしました。

そして阿部さんにも10月頃に東京に来ていただいて”ちゃんとちゃんとの学校”でゲストにお招きしようと思っています。

 

 

超高齢社会に向けて何かできることはないかを考える”ちゃんとちゃんとの学校のvol.2” が8/24に東京の青山で19時より開催決定しました。

是非ご参加お待ちしております。

 

https://www.facebook.com/events/247933715723209??ti=ia

 

 

 

 

 

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