「 これなんぼするん?」
「 いくらもらってるん?」
大阪の友人の口癖です。
関西出身の私には日常の会話ですが、関東の人はひいています。そして「聞いてどうするの?」とだいたい言ってきます。それもまた日常です。
『おじいちゃんのクソどうでもいい豆知識』というガチャガチャがあるみたいです。
カプセルの中身は、どこの誰だかよく分からないおじいちゃんの写真と、そのおじいちゃんが気になった雑学を書いた手書きのメモが入っている、そして価格は200円。
「高っ、、そんなん誰が買うん?」
とまあ、予想通りのリアクションを見せた大阪の友人でしたが、その予想に反してえらい売れているんだそうです。僕も関西人なので「高っ、」と言いながらも1つは買うだろうと思います、まあ関西人だろうが色々です。
『 普段着 』
ベタが嫌いです、特に昔からコテコテの観光地みたいなところは苦手です。飲み屋の呼び込みみたいな土産屋さんに、美味しく無い饅頭に、誰が買うのか分からないキーホルダー、、、
その場所にしかないありのままが売りだったはずが、整備されて観光地になってしまうと魅力が失われる気がします。
それより旅先の楽しみは、地元の人しか行かないようなスーパーマーケットとか、西日で変色した食品サンプルがある食堂とか、飾らない場所や人のほうがなんだか好きです。
だいたい地元の人からは理解されず、変わった人だなぁという顔をされます。
仕事柄、全国を移動するほうですが、どこに行こうが似たような街並みになってしまって、そこに行かなきゃ味わえなかった空気は減ってきている気がします。
そしてそれは場所だけじゃないと思います。
ときにはよそ行きの格好も必要ですが、楽なのは普段着で、場所も人もやっぱり普段着がいいなぁと思うわけです。
老年的超越(gerotranscendence)とは、高齢期に高まるとされる物質主義的で合理的な世界観からの宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のことで、スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムの提唱する概念です。
ずいぶんと前にちゃんとちゃんとの学校のメンバーである清水絵理さんから教えてもらいました。
これを教えてもらったときに、歳をとることは悪いことばかりじゃない、素敵だなぁと思った記憶があります。
間違っているかもしれませんが、ある年齢を超えると今まで感じなかったような幸せを感じるようになったり、合理的で物質的だった世界から解放されて、本当に大切なことを見つけることなんじゃないかと個人的に解釈しました。
御年配の方と話をすると面白いのはとても自然体で、普段着の自分でいられるからなんだと思います。
『 なんとなく 』
少しでも楽なほうへ楽なほうへと行きたくなるナマケモノな私ですが、ちゃんとちゃんとの学校もそろそろ色々と考え始めないとなぁと思っています。
個人的には映画みたいなものをつくりたいと思っています。そんなのつくれるのか?予算はどうするのか?まあ一旦それはおいといてください。
シニア支援プロジェクトちゃんとちゃんとの学校では、日頃シニアに関わる方たちと一緒に、様々なカタチのシニア支援の活動をしてきました。
そんな活動の中に3年前からスタートしている『100歳図書館』があります。
どんな人にもその人にしかない人生のストーリーがあります、その一部を1枚の写真を使いながら、語り、対話します。
見ず知らずの誰かの人生経験はどこかの誰かにとっては価値があるかもしれない、そう思って始めたこの『100歳図書館』には当初ひとつの心配事がありました。
どこの誰だか分からない人の話を面白いと思ってくれるのだろうか?
実際にやってみないと分からないという中で始めた100歳図書館でしたが、どこの誰だか分からないはずだった人の話が面白くて仕方ありませんでした。
つくりものじゃない人生経験はなんだか特別でした。とてもリアルでストーリーもうまくいくことばかりではありませんが、たった1つしかない話でした。
だからこそ年代や育ってきた環境がまったく違う人達にも、驚きや共感があったのではないでしょうか。
人生経験はたとえどんな経験だったとしても、どこかの誰かには価値があるんだと思います。
それは自分の生きてきたことを誰かが知ってくれたり認めてくれることで、また縁もゆかりもない誰かを励ましたり元気づけたりすることにもなります。
超高齢社会の日本は、ある意味世界の最先端です。
飾らないありのままの暮らしの中には、長生きの時代をいきていく知恵だったり、いいことばかりじゃない人生から楽しさを見つける才能だったり、長い時間かけて熟成したそれぞれ違うリアルな人生経験こそ面白くて価値があるんだと思います。
2019年から世界で猛威を振るった新型コロナウイルス、突然始まった戦争、今までのあたりまえや日常が失われてしまった気がします。そんなときに長い人生を生き抜いた経験は今まで以上に意味がある気がします。
100歳図書館では話をしてくれる方やサポートしてくれる方々も含めて、ごちゃ混ぜのみんなで一緒になってつくる過程にも面白さがあります。
また誰かの話が世代や言語も全く違う人に影響があったりするところを映像化出来たりすると、もっとイメージできるんじゃないかと思いますし、もっと多くの人に素晴らしさを感じてもらえるじゃないのかなぁと妄想しています。
連日の暑さにやられ、いつもにも増して信用できない私の脳は言ってます。
『 映画がいいんじゃない、なんとなく 』