『 あれから 』

2020年9月1日、ちゃんとちゃんとの学校に手紙が届きました。

そこには

急性前骨髄球性白血病と診断され年齢的にも難しいと言われたけど、前向きに考えるようにします、どんな苦しい治療でも受けます、奇跡を起こすと決めています。

と書かれていました。

 

2019年に『ちゃんとちゃんとの学校 学園祭』に参加していただいた星島美子さんからの手紙でした。

学園祭で星島さんのお話を聞いていただいた方々からのメッセージを、後日星島さんに送りました。そのメッセージを何回も何回も広げて見ています、とも書かれていました。

 

あれから約2年に及ぶ大変な抗がん剤治療が終わり、その結果が昨日分かったと、1時間前に星島さんから連絡がありました。

「ありがとうございました、奇跡がおきました、とにかくみなさんに感謝の気持ちでいっぱいです。」

星島さんが、何度もみなさんのおかげと言われていましたので、お知らせしたくて書きました。

本当に良かった。

 

『 老人とドローン 』

3年ぶりに帰省しました。

小さな車に大きくなった子供たちを乗せて、7時間近くの移動はそれなりに大変でした。

ただ成長した孫の姿を見て喜んでくれたことを考えると、他にここまで親を喜ばせる方法などなかっただろうし、きっといくらか寿命が延びたはずですから、良かったと思います。

子供たちが成長して親も歳をとってきたことを思うと、これからは今までのように当たり前に会うことは難しいというか、それぞれのタイミングを合わせることは簡単ではないと思いました。

そんな訳で帰れるときに帰っておかないとということが帰省の目的でしたが、帰省のもうひとつの目的はドローンを飛ばしてみることでした。

空を自由に飛びまわり、鳥のように空から見る景色は非日常的で最高です。

10年前くらいに最初に買ったドローンは大きくて、飛べる高さは15メートルくらいで、付いているカメラも画像が悪かったのですが、今のドローンはスマホくらいの大きさで3000メートルくらいは飛べて、カメラは4Kでジンバルもついていて綺麗でブレない画像や動画が撮れるようになっています。

ドローンの進化は凄いスピードだと思います、ただ一方でドローンの歴史は規制との闘いでもあります。

2015年には重量が200g以上のドローンの飛行に国土交通省による航空法の規制がかかるようになり、空港等の周辺の空域、地表または水面から150m以上の高さの空域、人口集中地区の上空においては事前に国土交通大臣の許可が必要になりました。

そして今年の6月から100g以上にその範囲が拡大されました。

そして航空法以外にも道路交通法、小型無人飛行禁止法、都市公園法、自然公園法などの法令があり、さらに各地方自治体ごとに独自にドローンの飛行を禁止する条例が定められています。

条例により飛行を禁じられたエリアでは、たとえ国土交通大臣の許可を受けていても飛行ができないことがあります。

どんどん高性能になっていくドローンに対して、網の目のように張り巡らされていく規制、ドローンは飛ばせる場所は都市部にはほとんどありません。

そこで田舎に帰ったからには思う存分飛ばしてやろうとドローンを持ってきたのですが、ふと見ると孫に使い方を教わり、孫以上に興奮する老人がいました。

そういえばこの人は新しいものが好きだったのを思い出しました。暇さえあれば電気屋さんに行き、VHSのビデオデッキが発売されたら真っ先に買ったり、ビデオカメラも出たらすぐに買っていました。

そうだったと思ってからあらためて見ると、いつまでも少年のような老人が本当の少年と遊んでいるように見えました。

 

『 ドローンの可能性 』

介護に関するAIやDXについて研究するメディア『AIケアラボ』にドローンが介護の分野でも活躍していることが紹介されていました。

長野県伊那市(いなし)はKDDIと連携して、買い物に行けない高齢者を支援する事業としてドローンでの食材空輸サービスを導入していたり、岡山県和気町(わけちょう)ではヤマト運輸と連携して医薬品をドローン配送する実証実験を行っているんだそうです。

また写真SNS「フォト蔵」などを運営する OFF Lineでは認知症患者の「外出検知」と「徘徊を見守る位置情報システム」を開発し、金沢市内において大規模な実証実験を行っているようです。

様々な可能性が期待されているドローンですが、徳島大学や東海大学などの研究グループが、介護を必要とする患者が眼球でドローンを遠隔操作するシステムについて研究しているようです。

アイトラッキング(視線追跡)装置が介護が必要な患者の視線を追跡してそのデータが遠隔地に送られます、そしてそのデータに基づいて遠く離れたドローンが動くんだとか、現在はサポートするスタッフがいる状態ではありますが成功しているようですから、かなり興味深いです。

年齢と共に身体は不自由になりがちですが、年齢に関係なく誰でも簡単に、遥か遠くにあるドローンを自由に動かせるとは夢があります、今後ますます可能性が広がっていく研究だと思います。

 

 

『 80 』

時々取りつかれたように部屋の掃除をするタイプの人間ですが、ふと気づいたことがあります。
掃除のとき『これはどうしたらいいんだろう?』というものを入れる箱があります。捨てるにはもったいないけど、使う予定もない、そんなものを一時的に入れておく箱です。

気づけばそんな箱だらけになっていました。  

貧乏性で思い切りのない私らしいのですが、思い返せば断捨離だと捨てようとした時期もあったりしたのですが、まだ捨てられない。
そして久しぶりに帰省した実家は、私の部屋の未来を見ているような、よりそんなものだらけの様子でした。
久しぶりの実家は奇麗でもないし、よく分からないものばかりが置いてありました、昔から特に好きでもなかったはずが、それもいいかもしれないと思うようになりました。
 
近頃は効率よく、うまく生きていく生き方が注目されていますが、そればっかりだと窮屈でつまらない気がします。
ドローンの規制みたいに自由に生きにくい時代に、流されないように、自分の思うように生きていくことは難しい、けれども大切だと感じた3年ぶりの帰省でした。
 
来月で80歳になる父親が言いました。

 

「誕生日にドローン買ってくれ」

 

こんな80歳もいいかもしれない。

 

『 普段着 』

「 これなんぼするん?」

「 いくらもらってるん?」

大阪の友人の口癖です。

関西出身の私には日常の会話ですが、関東の人はひいています。そして「聞いてどうするの?」とだいたい言ってきます。それもまた日常です。

おじいちゃんのクソどうでもいい豆知識』というガチャガチャがあるみたいです。

カプセルの中身は、どこの誰だかよく分からないおじいちゃんの写真と、そのおじいちゃんが気になった雑学を書いた手書きのメモが入っている、そして価格は200円。

「高っ、、そんなん誰が買うん?」

とまあ、予想通りのリアクションを見せた大阪の友人でしたが、その予想に反してえらい売れているんだそうです。僕も関西人なので「高っ、」と言いながらも1つは買うだろうと思います、まあ関西人だろうが色々です。

 

『 普段着 』

ベタが嫌いです、特に昔からコテコテの観光地みたいなところは苦手です。飲み屋の呼び込みみたいな土産屋さんに、美味しく無い饅頭に、誰が買うのか分からないキーホルダー、、、

その場所にしかないありのままが売りだったはずが、整備されて観光地になってしまうと魅力が失われる気がします。

 

それより旅先の楽しみは、地元の人しか行かないようなスーパーマーケットとか、西日で変色した食品サンプルがある食堂とか、飾らない場所や人のほうがなんだか好きです。

だいたい地元の人からは理解されず、変わった人だなぁという顔をされます。

仕事柄、全国を移動するほうですが、どこに行こうが似たような街並みになってしまって、そこに行かなきゃ味わえなかった空気は減ってきている気がします。

そしてそれは場所だけじゃないと思います。

ときにはよそ行きの格好も必要ですが、楽なのは普段着で、場所も人もやっぱり普段着がいいなぁと思うわけです。

 

老年的超越(gerotranscendence)とは、高齢期に高まるとされる物質主義的で合理的な世界観からの宇宙的、超越的、非合理的な世界観への変化のことで、スウェーデンの社会学者ラルス・トルンスタムの提唱する概念です。

ずいぶんと前にちゃんとちゃんとの学校のメンバーである清水絵理さんから教えてもらいました。

これを教えてもらったときに、歳をとることは悪いことばかりじゃない、素敵だなぁと思った記憶があります。

間違っているかもしれませんが、ある年齢を超えると今まで感じなかったような幸せを感じるようになったり、合理的で物質的だった世界から解放されて、本当に大切なことを見つけることなんじゃないかと個人的に解釈しました。

御年配の方と話をすると面白いのはとても自然体で、普段着の自分でいられるからなんだと思います。

 

『 なんとなく 』

少しでも楽なほうへ楽なほうへと行きたくなるナマケモノな私ですが、ちゃんとちゃんとの学校もそろそろ色々と考え始めないとなぁと思っています。

個人的には映画みたいなものをつくりたいと思っています。そんなのつくれるのか?予算はどうするのか?まあ一旦それはおいといてください。

 

シニア支援プロジェクトちゃんとちゃんとの学校では、日頃シニアに関わる方たちと一緒に、様々なカタチのシニア支援の活動をしてきました。

そんな活動の中に3年前からスタートしている『100歳図書館』があります。

どんな人にもその人にしかない人生のストーリーがあります、その一部を1枚の写真を使いながら、語り、対話します。

見ず知らずの誰かの人生経験はどこかの誰かにとっては価値があるかもしれない、そう思って始めたこの『100歳図書館』には当初ひとつの心配事がありました。

どこの誰だか分からない人の話を面白いと思ってくれるのだろうか?

実際にやってみないと分からないという中で始めた100歳図書館でしたが、どこの誰だか分からないはずだった人の話が面白くて仕方ありませんでした。

つくりものじゃない人生経験はなんだか特別でした。とてもリアルでストーリーもうまくいくことばかりではありませんが、たった1つしかない話でした。

だからこそ年代や育ってきた環境がまったく違う人達にも、驚きや共感があったのではないでしょうか。

人生経験はたとえどんな経験だったとしても、どこかの誰かには価値があるんだと思います。

それは自分の生きてきたことを誰かが知ってくれたり認めてくれることで、また縁もゆかりもない誰かを励ましたり元気づけたりすることにもなります。

超高齢社会の日本は、ある意味世界の最先端です。

飾らないありのままの暮らしの中には、長生きの時代をいきていく知恵だったり、いいことばかりじゃない人生から楽しさを見つける才能だったり、長い時間かけて熟成したそれぞれ違うリアルな人生経験こそ面白くて価値があるんだと思います。

2019年から世界で猛威を振るった新型コロナウイルス、突然始まった戦争、今までのあたりまえや日常が失われてしまった気がします。そんなときに長い人生を生き抜いた経験は今まで以上に意味がある気がします。

100歳図書館では話をしてくれる方やサポートしてくれる方々も含めて、ごちゃ混ぜのみんなで一緒になってつくる過程にも面白さがあります。

また誰かの話が世代や言語も全く違う人に影響があったりするところを映像化出来たりすると、もっとイメージできるんじゃないかと思いますし、もっと多くの人に素晴らしさを感じてもらえるじゃないのかなぁと妄想しています。 

連日の暑さにやられ、いつもにも増して信用できない私の脳は言ってます。

『 映画がいいんじゃない、なんとなく 』